ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1035/

米国版重要無形文化財を受賞

私が1994年だったかしらね。ワシントンの方であれ、なんというのかしらね。「National heritage」まさかね、お茶をねワシントンにご紹介できるなんて夢にも思ってなかったね。ところが、やっぱりアメリカは寛大。ホテルから何まで、すべを一週間ばかり、だって私のお弟子さんやら、ロバート・ホリさんやら、一緒に行ってましたけどね。それでそこに行きまして、あの素晴らしいワシントン・DCにおいて、もう本当に夢のように思う存分日本のことを喋くって、お茶をやって。あの時大変ね。あ~よかったね。日本の伝統文化の茶道がですね、ワシントン・DCにおいて、こんなにご紹介できるチャンスくだっさった。これはもちろん一重に皆様からのご協力がありますけども。 そしたら、クリントン様の奥様が私にPlaqueくださる時に、「あなたご苦労ね」、「アメリカという国は大変新しい国である」。“Very new country”、「だけど母国の素晴らしい伝統文化を大学にも教えて」、そしてね「沢山の生徒に種をまいてくれた」。素晴らしいお方ですね。Mrs. Clinton さんから・・愛をい ただきました。あのときもね、夢のようでございました。だって、日本の茶道がワシントン・DCにおいて、紹介できる機会をいただいたことは、これも意外な感激でございました。だけど、自分ながらこの小さい私がなんとか日本の文化をアメリカのワシントンDCにおいてご紹介できたということは、本当に感無量でございます。


ヒラリー・クリントン ワシントンD.C. 茶道

日付: 2005年12月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ナンシー・アラキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

松本宗静氏は、1916年2月21日ハワイ州ホノルルに生まれました。松本氏は日本とロサンゼルスの両方で育ち、10代のほとんどをロサンゼルスで過ごしました。茶の道に入った松本氏は、茶道の流派の1つである裏千家家元の下で学ぶため、京都へ移り住みました。戦争終結後、アメリカ国内に茶道を広めるため、帰米します。しかしながら、戦後当時の日系社会は、第二次大戦中の苦難や強制収容といった傷跡に向き合わなければならず、茶道に人々の関心を向けることは容易ではありませんでした。その後、松本氏の茶道への理解や献身的な努力によって、人々は茶道に興味を持ち始めたのです。松本宗静氏は、アメリカにおける茶道の権威として知られ、各地でお手前を披露し、映画やテレビにも出演してきました。松本氏はこれまで3000人以上の人々に茶道を教え、うち300人の弟子達は師となり、茶道を継承し続けています。

松本宗静氏はまた、数々の栄誉ある称号を受けています。茶道における最高位の称号である名誉師範号を、茶道流派の裏千家より授与され、1990年11月には松本氏の長年に渡る日本文化継承への功労に対して、勲五等の瑞宝双光章が日本天皇より授与されました。また、1994年には米国立芸術基金の選定するNational Heritage Fellowship(日本の人間国宝に相当)に選ばれました。この名誉は、伝統文化を継承・構築し、人々と分かち合う努力を続けてきた、アメリカ国内の最も優れた芸術家に与えられています。

松本氏は2019年2月、103歳でお亡くなりになりました。(2019年3月)

ビンス・オオタ

アジア系とのかかわりをあまり持たずに東海岸で育つ(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー