刑務所で出会ったアメリカ人達(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 刑務所には、アメリカ軍人だった帰米二世の集団がいました。私は彼らと共にかなりの量の肉体労働に従事していました。積み荷の石炭を降ろしたりする作業ですね。帰米は7人いて、米軍に入隊した彼らは、戦争が始まると武器を没収され、兵舎のトイレ掃除をさせられるようになりました。しかし彼らはトイレ掃除にうんざりし、「自分たちを兵士らしく扱ってくれ。そうでなければ除隊させてくれ。」と申し出たそうです。彼らの再三の要請に対して何もなされることはなかったので、彼らはハンガーストライキに入りました。そして自分たちの要請を請願書に起こし、全員が自分の指から出した血で署名をしたそうです。そして彼らは軍法会議にかけられたのです。言い渡された判決は死刑でしたが、後に懲役30年に変更され、結局刑期は15年に短縮されました。その後戦争が終わり、彼らは釈放されたそうです。

ほかに投獄されていた受刑者の中には、別のアメリカ人兵士の集団もいました。彼らはドイツ系アメリカ人で、ドイツ系アメリカ人協会のメンバーでした。ドイツ系協会のメンバーで、アメリカ生まれであってもドイツ系という理由で銃を没収されたそうです。そしてヨーロッパで捕虜として捕らえられ、アメリカに連行されて来た兵士を抑留する収容所で、監視として働いていました。収容所の境界線の外側から周囲を監視して回るパトルールの仕事をさせられていたんですね。彼らは監視中に兵士の脱走の手助けをしたことで軍法会議にかけられました。そして彼らもまたもともとは死刑の判決を受けたのですが、後になって懲役30年に減刑されたということです。

日付: 2006年5月9日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: リサ・イタガキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

civil rights military

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