>>その3南カリフォルニア大学における人種差別1950年代を迎えると、三世の日系人が高等教育を受けるようになりました。そのなかでも、医療従事者を目指すものが増えてきました。ハワードさんの甥である、永松先生もそのひとりです。
しかしながら、高等教育を希望する学生にとって、教育現場における差別は深刻な社会問題でした。特に、当時の南カリフォルニア大学の歯学部においては、日系人をふくめたアジア系学生に対する人種差別が激しかったのです。
永松先生はわたしに宛てた手紙のなかで、このようなことを書いていました。
「白人の上級生が、新入生にあいさつをする機会があったのだが、その白人は、白人の新入生にだけ、ひとりひとり、丁寧に、それも非常に親しく挨拶をしていた。しかしながら、私にたいしては、一度たりとも挨拶をすることはなかった。その白人は、私の前をとおりすぎて、私のことを無視したのだ。」
さらに、日系だけではなくアジア系の学生たちは学内にある医療器具を自由に使うことができず、歯科医師になるための勉強を思うように進めることができませんでした。
驚くべき行動
南カリフォルニア大学に通う日系人の学生たちが激しい人種差別を受けたいたことを知ったハワードさんは、差別と偏見に耐えていた学生たちを支援するために、驚くべき行動に出ました。それは、南カリフォルニア大学に在籍する人種差別と闘っている歯学部の学生たちに…