「きょう町で外人をみたわ!」
小学生だったTAさんは、ある日学校から帰るなり息せき切っておかあさんにそう報告した。TAさん、もう80歳は越えているはずだから、そんなこ とがあっても不思議はない。地方の県庁所在地に暮らしていた私にとって、たまに見かける外国人が目を離せなくなるほど珍しい存在だったのもやはり小学校の 低学年の頃だった。その私の年齢がTAさんのおよそ半分でしかないことを思えば、むしろその当時ならだれでもが経験するようなことだったろう・・・日本で だったら。
もちろんここで日本の昔話をしようというのではない。TAさんは、これをブラジルで経験した。
TAさんが暮らしていたのは、いったいどんなところだったのだろうか。
現在ブラジルの日系人は、一般にずいぶん同化が進んでいるといわれるが、その傾向に拍車がかかったのは戦後のことで、それまではサンパウロ州、パラ ナ州の田舎を中心に、日本人移民は新しく開拓した土地などで集まって暮らしていることが多かった。そういったところでは、同化どころか基本的に日本的な暮 らしが営まれていた。共通語は当然日本語、部屋にちょっとした神棚があることも珍しいことではなく、日本人移民は日本人移民同士結婚することが当たり前だ と思われていた。
そういった、日本人が集まった町を「植民地」と呼んだが、その「植民地」より少し遅れて、大正の終わりから昭和のは…