Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その1

ずらり並んだ日本酒の瓶。ここ数年の日本酒ブームでどこのスーパーの酒類売り場でもずいぶんと銘柄が増えたものだが、この店ではビンについた値札がすべてドル($)表示。といっても免税店ではない。 [inline:Uwajimaya1.jpg] 同じく、納豆、豆腐はもちろんのこと、どら焼きも大福などの和菓子もドル表示。そして、総菜コーナーには海苔巻きから太巻き、各種弁当も並ぶが、これらもみんな“ドル”だ。 一方、精肉コーナーに行くと大きな肉の塊が並び、氷の上にのった鮮魚は、並べ方も切り身もスケールがでかく、こちらは日本離れしているのでドルでも自然だ。 ここはアメリカ西海岸、ワシントン州の都市シアトルのスーパー、「Uwajimaya」(宇和島屋)の店内だ。メジャーリーグのマリナーズの本拠地、SAFECO FIELD(セーフコ・フィールド)の球場や、まちのシンボルともいえるキング駅の時計台も近くに見える新旧一体、少々雑多といえる地域のなかに位置する。 海外に長期滞在したり、そこで暮らすとなればなにより恋しくなるものの1つが、日本の食べ物。宇和島屋はそんな渇望を癒やしてくれる“オアシス”として、古い日系移民の町シアトルに誕生したが、いまでは日本食材を売り物にしながらも誰からも親しまれるスーパーとして現地で存在感を示している。 かつて...

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70年代、日系アメリカ人が遠いヒロシマへ捧げた歌

9月、アジア系アメリカ人文学の研究者たちの集まりに出席したとき、珍しい音源を入手した。出席者の一人で、アジア系アメリカ人が1980年代に設立した音楽NPO「Asian Improv aRts/Records」(AIR)の日本通信員をつとめる神田稔さんからいただいたものだ。 ふだんあまり目にすることのない、文化の狭間にある音楽を追う彼が勧めるものだけに興味をそそられた。その音源は「YOKOHAMA, CALIFORNIA.」(ヨコハマ、カリフォルニア)。この名の日系アメリカ人グループが70年代に制作したLPのコピーだった。 [inline:yokohama-california.jpg] このLPは、今となってはかなりレアものらしく、元をただせば洋楽を中心とするインディペンデント・レコード会社「MUSIC CAMP」代表の宮田信さんが発掘し、神田さんに貸したという。宮田さんは10年ほど前にLPの存在を知り、機会をみては探し続けていた。 タイトルからして、日本とアメリカを意識しているのが分かるが、それが何なのか。LPジャケットにある彼らの写真を見ると70年代の日本のフォークやニューミュージックのアーティストといってもなんの違和感もない。後で分かったことだが、この「YOKOHAMA, CALIFORNIA.」という名前は、日系アメリカ人作家、トシオ・モリが著した同名の小説に...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その3

>>その2沖家と酒井家沖氏のおかげでいくつかの謎が解けたというか、コロニーがどういう歴史的な経緯で誕生したかが浮かび上がってきたが、さらに沖氏の姉である長屋光子さんからは、沖家やコロニーについてのエピソードを聞いた。長屋さんは、祖父である光三郎氏のことを覚えていて、「体が大きくて、厳しい人だった」と振り返る。また、祖母とは田舎(峰山町)の大きな門構えの家で小さいころ一緒に暮らしていたこともあったという。 この祖母というのが酒井襄氏の姉にあたるわけで、光三郎氏がアメリカで急逝してしまい、コロニーの事業も結局失敗に終わってしまったことで、祖母は、複雑な立場と心境にあったろうと述懐していた。 また、子供のころに、ヤマトコロニーの写真を見たことがあり、いまでも記憶にあるという。 「バラックのような建物のベランダがあるようなところで、みんながハイカラな格好をして写っていました……線路で荷物を運ぶための駅舎のようなものもありましたね」。残念ながらこうした写真は、戦災ですべて焼けてしまった。 コロニーから日本に引き揚げてきた親戚にも会ったことがあり、やはり「ハイカラな格好をしていた」という。 沖氏と会ってからほぼ半月後、今度は京都で酒井隆子さんと会うことになったのだが、その直前に、彼女から酒井襄氏の孫にあたる水戸部浩氏が同じ京都にいることを教えられた。...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その2

>>その1 謎が解け、コロニーの背景もこうして酒井氏と知り合ったことをきっかけとして、これ以後何人かの人たちに取材できたことで、酒井襄氏に関する謎が一気に解けていっただけでなく、ヤマトコロニーが誕生していく歴史的な背景が明らかになっていった。というのは、電話で連絡をとった隆子さんから教えてもらった沖守弘氏という写真家にまず出会ったからだった。 沖という名前がこのコロニーへのおもな入植者の一人であることはわかっていた。1961年に新日米新聞社から発行された「米国日系人百年史―在米日系人発展人士録」には、日本からの米国移民の歴史が各州別に具体的な名前をあげながら紹介されている。フロリダ州の紹介のなかで、ヤマトコロニーについての記載があるが、そこに宮津から入植した一人として沖という名前がでてくる。しかし、苗字だけで名前はない。 この沖と縁戚関係にあるのが沖守弘氏だと教えられ、さっそく都内にある沖氏の自宅を訪ねた。昭和4年生まれの沖氏は、インドで救貧活動をつづけた修道女、マザーテレサを70年代から撮り続け、日本に紹介したことで知られる写真家で、マザーテレサの写真集も出版している。この秋にはイタリアで彼の撮ったマザーテレサの写真展が開かれるところだった。 私がヤマトコロニーについて調べていることを話すと、沖氏はこれについて彼自身が集めた数多くの資料をもとに説明してくれた。そこでわ...

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世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その1

明治時代にアメリカの南東部にあるフロリダ州に農業移民としてわたった人たちの歴史と、その地が現在モリカミ・ミュージアムという立派な博物館と日本庭園 に姿を変えていることを、過去2回にわたって紹介してきた。(参照:「フロリダの日本庭園とコスプレ」、「フロリダと天橋立」) この移民たちの入植地はヤマトコロニーと名付けられ、コロニーに通じる道はこれにちなんでYamato Road(ヤマトロード)と名付けられた。フロリダという日本人にはなじみのない場所に、このユニークなコロニーができたきっかけをつくったのが、酒井襄(もともとは醸だった)と奥平昌国という二人だった。 ニューヨークに留学中の二人が、フロリダで農業移民として日本人を求めていることを知り、それぞれの郷里である京都の宮津、大分などで入植を呼びかけたのである。この当時ニューヨークに留学していたくらいだから、さぞこの二人はそれなりの家柄や経歴の持ち主だと想像されるが、事実、奥平昌国氏は、九州中津藩の藩主だった奥平家を継いだ奥平昌恭氏の弟であることがわかっている。 [inline:map1.jpg] しかし、酒井氏については、アメリカに残された資料などによると、宮津出身で同志社を出てニューヨークに留学したということぐらいしかわからなかった。彼がきっかけとなってフロリダのデルレイ・ビーチ市と宮津市が姉妹都市関係にあるのに、どうい...

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