Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第5回 南部加州の日系人 ~ その1

第4回「北部加州の日系人」を読む >>「米國日系人百年史」(1961年)を編集した新日米新聞社がロサンゼルスを拠点としたということもあるだろうが、ロサンゼルスを中心とする本書の第二章「南部加州 (SO.CALIFORNIA)」は、全1431ページのうち440ページにもわたっている。 なぜこれだけの分量になるかというと、そのほとんどが紳士録的なページで、南カリフォルニアで事業に成功した現地での著名人をはじめさまざまざな分野で活躍してきた日本人、日系人についての紹介にあてられているからだ。 そのなかには、本書を出版した新日米新聞社の社長であり弁護士の城戸三郎も含まれている。また、短命に終わった新日米新聞社についても、設立に至る経緯や事業内容などについて2ページにわたって紹介されている。 同社の社屋は、ロサンゼルスの「345 E.2nd St. 」にあり、写真で見ると3階建てで、1960年春に同社内で撮影された社員18人がそろった写真(以下)も掲載されている。日本語メディアがまだ勢いのあったころの様子がうかがえる。 また、広告記事のなかにはこのころ日本に進出してまもない「アメリカン・ホンダ・モーター会社」(社長、本田宗一郎)や、「ハリウッドトヨタ自動車株式会社」、「アメリカ松竹」などが登場する。 最初の日本人は1870(明治3)年 「第一節 南加州の日本...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第4回 「北部加州」の日系人

「米國日系人百年史」(1961年発行)は第一篇「総論」と、第二篇「各州日系人発展史 地方篇」の二つに大きく分かれる。このうち、全体の約3分の2にあたる1000ページほどをさいて全米各州別に日本人、日系人の百年の足跡をたどっている。ページ構成をみると、カリフォルニア州だけが北部、南部、中部とわけられ全体の約半分を占め、残り半分が他の州にあてられている。 各州とも「最初に日本人がこの州に踏み入れたのはどこで、どういう日本人が何のために移住してきたのか」といった、日本人移住(移民)のルーツを可能なかぎり記している。そして、各地に日系人が定住し、どのようにコミュニティーをつくり、発展していったかを俯瞰する。 また、戦時中はどのような経験をしてきたのか、戦後の復興はどうであったか、世代がかわってどのようにコミュニティーや各種日系の団体が活動してきたかを、具体名をあげて記している。名士や成功者、異色の存在についてはその横顔を紹介する。 北カリフォルニアからたどる 本連載では第4回以降、「米國日系人百年史」を各州別に読み、その内容を紹介していく。今回は第1章「北部加州」。その第1節「日本人先着の地桑港」では、次のように記している。 「わが在来日本人活躍の端緒は、桑港を振り出しに展開されて居る。初期時代の在住日本人の中に米人雑貨商店に勤務していた佐藤百太郎が当時渡米しても西も東も分...

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第3回 移住、被爆体験、平和運動へ ~ ジャーナリスト、加藤新一の仕事(下)

第2回 「加藤新一の仕事(上)」を読む >>  新日米新聞社の編集主幹として「米國日系人百年史」を取材、執筆、編集した加藤新一は、太平洋戦争を挟んで日米を行き来して生涯を終えた。アメリカに対する思いは被爆体験からすれば複雑だったはずだが、アメリカの民主主義を評価し移住した日本人・日系人の足跡を記録、後半生は平和運動に尽力した。 加藤は1900(明治33)年9月広島市に生まれる。1916(大正5)年、修道中学1年のとき、すでにカリフォルニアのフレスノでブドウ栽培をしていた父親に呼び寄せられ、現地のハイスクールに通った。23年に父親は帰国するが加藤はロサンゼルス郊外のパサデナに落ち着いた。 1925年に羅府新報に入社、その後加州毎日で3年記者として働いたのち、アメリカ資本に押される在米同胞のために産業組合運動を推進、「米国産業日報」という機関紙を創刊し副社長兼編集長となった。また、南加州農産連盟支配人をつとめた。 しかし太平洋戦争がはじまると社の幹部であった彼は、1941年2月から42年6月までモンタナ州のミヅラ収容所に抑留される。ここは司法省管轄の収容所の一つでアメリカ政府にとって問題ありとみなされた「アメリカ市民以外の人間たち」が収容された。 1942年8月には第1回の(戦時)交換船で帰国し、翌年9月に郷里の広島にある中国新聞社に入社、広島に...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第2回 全米を9ヵ月、4万マイルにわたり取材 ~ ジャーナリスト、加藤新一の仕事(上)

1961年末にロサンゼルスの新日米新聞社より出版された1431ページにおよぶ「米國日系人百年史」のあとがきを「編者」として、取材、執筆にもあたった加藤新一がまとめている。 そのなかで加藤は、「戦後は米本土の殆ど全域に及ぶ米國日系人の歴史を、今にして誰かが綴り残さなくては、日本民族が、この北米大陸に苦闘を重ねて築いた貴い『百年』の歴史を湮滅することを恐れた」と、使命感を示している。 また、どのような出版物にするかについては「百年の奮闘報告書」として、日本へ向けて日系人の歴史を残し、かつ将来誰かが綴るであろう英文による「在米日系人史」の資料として次世代に残すということを主眼にしたという。 こうした意図のもとに、加藤は1960年の6月以来9ヵ月をかけ4万マイル(約6万4000キロ)におよぶ全米各州への自動車独走の取材旅行に出たと記している。アメリカの東西横断がざっと3500マイルだから11回横断した距離に匹敵する旅である。しかし実際はもっと長かったのかもしれない。 本書の翌年に、この百年史のダイジェスト版のようなかたちで加藤は「アメリカ移民百年史」(時事新書)を著している。 そのあとがきでは「なにかに『ツかれた』というが、全くカリフォルニアから行を起こし、華氏百度前後の酷暑のまっただなか、また零下十度前後の極寒の雪中突破など全米を回ってロサンゼルスに帰るまでの十ヵ月、八万...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第1回 日米修好100年を記念しまとめた1431ページ

日本からアメリカ本土への最初の移民からすでに150年ほどが経つ。いま、初期の移民1世は鬼籍に入り、2世の謦咳に触れることも少なくなった。危惧するのは世代を経るにしたがって、言葉の壁もあってパイオニアである1世の記録が遠くなり忘れ去られていくことである。 日本とアメリカを生き、結果として橋渡しをした1世の人生は、日系人と日系社会の原点であり、大いなる冒険者としての記録でもある。その意味で、いまここで1世たちの足跡を振り返ってみる。その方法はいろいろあるだろうが、私は一冊の大著「米國日系人百年史」を読み直し、そこに紹介された一世たちの姿をこの連載のなかで紹介していきたい。 その前に、本書の成り立ちと内容について記そう。 1860年、江戸幕府が遣米使節団を送りホワイトハウスで日米修好通商条約の批准書が交換された。それから100年後の1960年、日米修好100年を記念し日米双方で政府をはじめ民間レベルでもさまざまな行事が行われその歴史が検証された。 14年の短命のなかで「新日米新聞社」が発刊 そのなかで、ロサンゼルスに本社を置く「新日米新聞社」が記念事業として出版したのが「米國日系人百年史」である。同社は、1947年籾井一剣が創刊、最初は週刊でのちに日刊となったが経営は苦しく、53年に元全米日系市民協会会長、城戸三郎が経営をひきついだものの67年には廃刊となった。 ...

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