今年2月にはじまったロシアのウクライナ侵攻によって、日本とロシアの関係が悪化したことで、日ロの歴史にまつわる地や人々は複雑な思いをしているのではないか。このほど、北陸の海岸線を取材旅行した際にふと思った。
旅は新潟市からはじまり富山、石川、福井と海岸線を車で走った。途中能登半島も一周し突端の禄剛崎へも足を運んだ。すると「ウラジオストック772キロ」という標識がある。ずいぶんとロシアも近い。
このあと再び西へとすすみ、福井県に入ると間もなく観光名所東尋坊に達する。ここから国道305号で越前海岸を延々と南に下ると敦賀市に入る。日本原子力発電の敦賀発電所1、2号機など原子力施設で知られる敦賀市だが、実はここは戦前はヨーロッパへ繋がる日本からユーラシア大陸への玄関口だった。
30年以上前、私は敦賀と韓国の東海を結ぶフェリー計画を取材した。「原発だけに頼ってはいけない。かつて港町として栄えた敦賀をとりもどそう」といったあつい思いの市民によって計画は進められた。残念ながらそれは実現にいたらなかったのだが、この取材の過程で、多くの日本人と外国人が敦賀を経由して鉄路と海路で行き来していた事実を知った。
調べてみると、敦賀は古代から大陸との交通、交易の拠点であり、兵站基地でもあった。明治45(1912)年には東京(新橋)と敦賀の金ヶ崎駅間に「国際列車」が運行していた。東京から東海道線を...