Ryusuke Kawai

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第8回 ウラジオストク、日系の足跡

今年2月にはじまったロシアのウクライナ侵攻によって、日本とロシアの関係が悪化したことで、日ロの歴史にまつわる地や人々は複雑な思いをしているのではないか。このほど、北陸の海岸線を取材旅行した際にふと思った。 旅は新潟市からはじまり富山、石川、福井と海岸線を車で走った。途中能登半島も一周し突端の禄剛崎へも足を運んだ。すると「ウラジオストック772キロ」という標識がある。ずいぶんとロシアも近い。 このあと再び西へとすすみ、福井県に入ると間もなく観光名所東尋坊に達する。ここから国道305号で越前海岸を延々と南に下ると敦賀市に入る。日本原子力発電の敦賀発電所1、2号機など原子力施設で知られる敦賀市だが、実はここは戦前はヨーロッパへ繋がる日本からユーラシア大陸への玄関口だった。 30年以上前、私は敦賀と韓国の東海を結ぶフェリー計画を取材した。「原発だけに頼ってはいけない。かつて港町として栄えた敦賀をとりもどそう」といったあつい思いの市民によって計画は進められた。残念ながらそれは実現にいたらなかったのだが、この取材の過程で、多くの日本人と外国人が敦賀を経由して鉄路と海路で行き来していた事実を知った。 調べてみると、敦賀は古代から大陸との交通、交易の拠点であり、兵站基地でもあった。明治45(1912)年には東京(新橋)と敦賀の金ヶ崎駅間に「国際列車」が運行していた。東京から東海道線を...

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日系(ニッケイ)—をめぐって

第7回 横浜の海外移住資料館、リニューアル

移住、ニッケイを知る手掛かりに  移住や移民についての資料を展示しているユニークな存在として知られる「JICA横浜・海外移住資料館」が、このほどリニューアルオープンした。 明治時代から北米、南米に移住した移民の歴史をはじめ、移住先での仕事や生活の実態を紹介した展示の基本はこれまでと同じだが、映像や動画などを利用することでよりわかりやすくなり、また世代を重ねてきた「日系(ニッケイ)」社会のひろがりを考えさせる展示になっている。 横浜港は、明治維新による開国後、海外に開かれた最大の拠点としてそこから多くの日本人が北米、南米などへと向かった移民にゆかりの深い港だ。いまも国際客船のターミナルになっている大さん橋があり、その西には観光スポットの赤レンガ倉庫が見えるが、そのさらに向こうに、海外移住資料館の入るJICA横浜センターのビルがある。 JICA(Japan International Cooperation Agency)は、「独立行政法人国際協力機構法(平成14年)に基づき設立された独立行政法人で、開発途上地域等の経済及び社会の開発若しくは復興又は経済の安定に寄与することを通じて、国際協力の促進並びに我が国及び国際経済社会の健全な発展に資することを目的とする」と、自ら謳っている。 JICAの前身組織の国際協力事業団は、戦後、主に中南米への移住事業に携わっていたこともあ...

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第6回 ルーツを探して -テキサス・福山編-

日本からアメリカへの移民というと、戦前は西海岸の諸州などでおもに労働者として雇われるというのが一般的だった。しかし、広く全米をみると、まれにだが日本人による入植事業という自営による移民という形もあった。 20世紀のはじめにフロリダ州南部につくられた大和コロニーはそのひとつだが、州単位でみると同じ南部のテキサス州での入植事業がもっとも盛んだった。 日露戦争の前、在ニューヨーク総領事の内田定槌は、テキサス州の米作の将来性を官報などで世に知らしめ、日本人の入植を奨励した。このことは日本の移民関係の雑誌でもとりあげられ、事業意欲のある日本人の資本家や知識人らが、相次いで広大なテキサスに足を踏み入れた。1930年から数年の間にテキサス州内では、50以上の日本人による農業経営がはじまった。 これらの事業のなかでもっともよく知られるのが、ヒューストンの南、ウェブスターでの西原清東、清顕父子が経営する農園だ。また、ヒューストンの東100キロほどのところでは新潟県長岡出身の岸吉松が岸コロニーをつくりあげた。 西原農園や岸コロニーより10年ほど遅れて、メキシコとの国境近くを流れるリオグランデ川の河口近くでも日本人によるコロニーがつくられた。湾岸のまちブラウンズヴィルで、鹿児島県出身の川畑実をリーダーとする7人が協同で経営に乗り出した農園である。 すでにサトウキビ・プランテーションとして...

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第5回 ルーツを探して -フロリダ・兵庫編-

取材などで日系アメリカ人に話をきく際に、「ご自分のルーツは日本のどこか知っていますか」「ルーツは日本のどちらですか」と、ついききたくなってしまう。それは、私自身がもし日系アメリカ人としてアメリカに生まれたら、自分のルーツはどこなのか、とある段階で知りたくなるとおもうからだ。 日本人は、たどれる範囲内で歴史を遡ってみても、だいたい日本のどこかがルーツなのはあたりまえだ。それでも、細かくファミリーヒストリーを調べてみると意外な発見があるのだから、国境を越えたところにルーツのある人たちの歴史は、波らんに富むと想像できるし当事者にとっても謎の部分は多いだろう。 当の日系人のなかに自分のルーツ探しを試みる人がいるのは理解できる。ただ、日本に親戚がいる人はともかく、親戚縁者がいないと言葉の壁もあり、ルーツをたどるのはそう簡単ではない。 私はこれまで取材の過程で知り合った日系アメリカ人3家族について、取材者としての私自身の興味もあって、ルーツに関する調査のお手伝いをしたことがある。 その一つは、フロリダ州に住むキム・コバヤシさん一家についてだ。20世紀のはじめ、フロリダ州南部に日本人によってつくられた大和コロニー(大和村)の一員として、キムさんの祖父、小林秀雄さんは入植し農業に従事した。 秀雄さんはコロニーの初期のメンバーとして兵庫県から参加し、最初はテント生活からはじめ、他の入...

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第4回 「日系」と音楽文化

日系(ニッケイ)とはなにか。政治や経済、スポーツ、食文化など、それを考えさせるテーマはいろいろあるだろうが、「音楽」に的をしぼったらどんなことが見えてくるだろうか。日系文化の研究でもあまりみることがないこの分野を長年研究してきた国立音楽大学の早稲田みな子教授がこのほど出版した「アメリカ日系社会の音楽文化 越境者たちの百年史」(共和国)からは、そんな興味への答えが浮かびあがってくる。 著者が焦点をあてたのは、アメリカの日系社会のなかでも北米大陸で最大の日系人人口を抱えるカリフォルニア州ロサンゼルス郡の日系社会。近代になって日本からの移民(移住者)によって形成されたこのコミュニティーのなかで、人々が親しんだ音楽について、大きく「歴史的」、そして「社会・文化的」にわけて考察したのが本書である。 音楽は、文献のように形(記録)として残っているとは限らない。それを調べるとしたら、実際に音楽のきこえる現場に足を運ぶのはもちろんのこと、その担い手にインタビューをし、またさまざまな音源に耳を傾けるなど、異なった種類の作業を積み重ねていかなければならない。 では、著者の場合はどうだったのか。 「フィールドワークでは、盆踊り、コンサートなど、音楽が実践されている現場に足を運び、どんな音楽が鳴り響き、人々がそれに対してどのように反応しているかなどについて、具体的に知ることができました。...

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