Keiko Fukuda

Keiko Fukuda: Oriunda de la prefectura de Oita, egresada de la Universidad Internacional Cristina. Trabajó para una editorial de revista informativa en Tokio. En 1992 viajó a los Estados Unidos y trabajó como jefe de edición en una revista dedicada a la comunidad japonesa durante 11 años. Es freelance desde 2003 y actualmente escribe artículos para revistas focalizándose en entrevistas a personalidades. Publicó junto a otros escritores “Nihon ni Umarete” (nacido en Japón), Editorial Hankyu Communications. Sitio web: https://angeleno.net

Última actualización Julio de 2020

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Choices for Japanese People Living in America

41年前に駐在員として渡米後永住権取得・近く日本に永久帰国予定の宮田慎也さん

終の住処は日本 オンライン取材させていただいた画面の向こうの宮田慎也さんは満面の笑顔だった。聞けば、入国規制が解除された日本に、ロサンゼルスから4年ぶりに帰国したばかりで、その日本での1カ月の滞在が夢のように楽しかったというのだ。 「今回の帰国の理由は4年帰ってなかったので久しぶりに帰りたいと思ったこと。もう1つは、サービス付きの高齢者ホームの下見をすることでした。2件の施設を見て、世田谷にあるホームに決めてきましたが、問題はまだ空きがないこと。おそらく年内か、来年の初めまで待って、それから帰国することになりそうです」。 現在77歳の宮田さんのアメリカ生活は41年にわたる。36歳で広告代理店のアメリカのブランチに駐在員として赴任。 「最初は数年で帰国する予定だったんだけど、いついちゃった。ゴルフが大好きな僕にとってここは楽しくて仕方なかったし、女房もテニスをやるので、(ロサンゼルスは)最高の環境でした。しかも子どもたちもここでの生活に馴染んだので、渡米後3年目にここに残りたいと会社に言ったら許可が出て、グリーンカードを取得しました」。 しかし、「終の住処」はあくまで日本だと決めていたそうだ。 「80歳まで、つまりエネルギーがなくなってしまう前に引き揚げようと女房と話していました。ここ数年でそれが現実味を帯びてきましたね。特に女房が医療のことを心配し始めました。…

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Imagine Little Tokyo Short Story Contest – Voice Actor Mayumi Saco Reads Aloud a Winning Story

Imagine Little Tokyo Short Story Contest, which calls for short stories in Japanese and English on the theme of Little Tokyo, marks its 10th anniversary this year. At its award ceremony, the winning story in Japanese is read aloud each year by a Japanese actor based in the United States. This year, however, an actor in Japan, Mayumi Saco, takes the role. Saco is one of the top-tier voice actors in Japan, known as the voice of Hollywood actresses, such as Scarlett Johansson and Emma Stone. We asked Saco why she decided to accept the request from Little Tokyo Historical Society, which organi…

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日本生まれボリビア育ち・アメリカで弁護士になった比嘉恵理子さん

  両親はボリビアの「コロニア・オキナワ」育ち 移民法弁護士としてロサンゼルスを拠点に活躍している比嘉恵理子さんとは、某日系ビジネス団体の会報向けに取材させてもらったのが最初の出会いだった。「父親の仕事でアメリカに移ってくる時にビザ手続きがなかなか順調に進まず、非常に苦労した自身の経験を現在の仕事に生かしています」と話す比嘉弁護士からは、「祖父母は沖縄出身のボリビア移民で、私の両親はボリビアで生まれました」という話も飛び出した。 聞けば、比嘉さん自身は、ボリビアから日本に出稼ぎに行っていた父親の仕事先の栃木県生まれで、小学生の時に両親、妹と弟と共にボリビアに帰国したのだと言う。そこで高校生の途中まで過ごしていたが、日本時代から勤務していた会社のアメリカ法人立ち上げに伴い、アメリカに駐在することになった父に帯同するため、比嘉さん一家は一旦日本でビザの発給を待った後に、ミシガン州デトロイトに移って来たそうだ。 沖縄系の方から話に聞くことがあった「コロニア・オキナワ」が、比嘉さんの祖父母が最終的に定住した地であると知り、また日本とボリビアで育った比嘉さん自身のアイデンティティーに興味が湧いた私は、彼女の家族の移民史を含め、改めて話を聞く機会をいただいた。 「最初にボリビアに移住したのは母方の祖父母、山城保徳と邦子で、1950年代のことでした。第二次大戦後、沖縄は…

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アメリカの日本語媒体

第12回 全米に行き渡るインターネットラジオ『さくらRADIO』

コミュニティーをつなぐ ニューヨークからインターネットで配信している『さくらRADIO』は2017年10月にスタートしたのち、数年かけてじわじわと全米の日系コミュニティーに浸透してきた。同ラジオが異色な点は、メディアとは異業種である人材会社インテレッセによって運営されていることだ。 インテレッセ社長の藤原昌人さんはラジオ開設の経緯を次のように語る。 「人材ビジネスで全米各地をまわっていると、ニューヨーク、カリフォルニア、ハワイ以外のエリアでは、ほぼ日本語の媒体が存在しないということを知り、そのようなエリアの皆さんが求めるメディア、全米のコミュニティーをつなげるものを作りたいと思いました。その場合、今の時代、新聞ではない。ではテレビだろうか、ラジオだろうかと考えると、テレビ放送の運営には膨大な金額がかかってしまうことから、テレビは難しい。それで最終的にニューヨークからインターネットでラジオ番組を配信することにしたのです。 また、人材会社なので、メディア業界の人材にさくらRADIOで働いてもらうことで仕事を提供することも(ラジオ局開設の)目的でした。通常はITや会計といった専門職は紹介先が見つかりますが、メディアの仕事はあまり紹介先が多くないのです。そういった方々のための仕事を作ろうと思ったというわけです」。 さらに藤原さんには従来の大手メディアとは異なる目論見もあった…

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2014年渡米、スケートボード留学生を日本から受け入れる杉本キョウコ・ヒックスさん

育児終了後に米留学 初めてのアメリカは18歳の時。現在、ロサンゼルス近郊に暮らし、日本からのスケートボード留学生を迎えてお世話をしている杉本キョウコ・ヒックスさんは、「コネチカット州に留学していた兄を訪ねたのが、アメリカに初めて来たきっかけです。ずっとアメリカの雑貨が大好きで、SONY PLAZA(海外の小物や化粧品などを販売する日本国内のショップ)に通っていました」と振り返る。 しかし、その後、日本で結婚し2人の子の母親になり、さらに離婚でシングルマザーになったことで、育児が最優先事項になった。「ずっとアメリカに来たいと思っていました。それで、次男が二十歳になった時に育児終了を宣言して、私のアメリカ留学を決行したのです」。それまでも、キョウコさんは子どもたちを連れて何度も短期でアメリカに足を運んでいた。カリフォルニアで体験したスケートボードに熱中した次男、エイセイさんはその才能を伸ばし、瞬く間に日本のキッズスケートボーダーとして有名になり、今では日本スケートボード選手権の審査員を務めるまでになった。 実は、エイセイさんが10歳の時に1年間の母子留学に挑戦しようとしたことがあったと言う。 「私が学生ビザを取得して、息子と一緒にアメリカに滞在しようと思っていたのです。理由は分からないけど、私のビザが却下されてしまいました。その時、シングルマザーだったから、学生ビザで入っ…

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