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アメリカに移住した被爆日本人女性の記録—カリフォルニア州マリナデルレイ在住の笹森恵子さん—その1

1945年8月6日、13歳の少女に何が起こったのか

日系三世の映画監督スティーブン・オカザキ による2007年製作のドキュメンタリー「White Light, Black Rain(白い光、黒い雨)」の冒頭で、日本の若者たちに質問が突きつけられる。「1945年の8月6日は何が起こった日か知っているか?」というのが、その問いである。

「わからない、歴史には弱いので」と正直に答える人もいれば、「もしかして地震ですか?」と推測で答える人もいる。広島に原子爆弾が落とされた日付はおろか、その史実さえも知らない日本人が多いのが、終戦後62年目の悲しくも厳しい現実なのだ。

ロサンゼルス郊外マリナデルレイに暮らす笹森恵子(ささもりしげこ)さんは、「White Light, Black Rain」の出演者であり、1945年8月6日に、その後の人生を大きく変えられることになった当事者だ。広島市内の女学校に通っていた13歳のあの日のことを、恵子さんは今も鮮明に記憶している。

「私たちは学徒動員に駆り出されて、ある学校の建物の後片付けに取り組んでいました。爽やかな青空が広がる、気持ちのいい朝でした。銀色の機体が白い飛行機雲を描きながら飛んでいくのを見て、クラスメートが『見てご覧、綺麗だよ』と言葉にしました。私も顔を上げたその瞬間、強い風圧で体ごと後ろに飛ばされました」

どれくらい、気を失っていたかはわからない。気づいた時は、周囲に闇が広がっていた。衝撃が激し過ぎたからか、恵子さんは痛みを感じず、耳には何の音も届いては来なかった。しばらくすると、霧が溶けるように周囲が徐々に明るくなっていった。その薄やみの中で、人々が足を引きずりながら移動していく行列が見えた。彼らの着物はぼろぼろで、火傷や怪我でこの世のものとは思えないほどの壮絶な姿だった。

川の近くまで来た時、突如聞こえて来た赤ん坊の泣き声と共に、恵子さんの耳の感覚が戻った。そして、そのまま、重い体を引きずるようにして、行列について行った。辿り着いた小学校の門の側の大木の下に座り込んだ途端、再び意識が遠のいていった。

恵子さんは意識を失ったまま、小学校の講堂で5日と4晩を過ごした。5日目の夕方、父親に奇跡的に発見された。

「父も私と同じように、8月6日のあの日、野外にいました。しかし、瞬間的に近くの卸し市場の冷蔵庫の陰に飛び込んだために、肩の火傷だけで済んだのです。私が行方不明になっている間、町内会で会長をしていた父の所に、ある男性が来て『小学校の講堂に千田町一丁目の子供がいる』と教えてくれたのだそうです」

講堂に寝かされていた恵子さんは、喉の乾きから「千田町一丁目の新本(旧姓)恵子です。お水をください」と囁くような声で訴え続けていたのだ。父の前に現れたのは、「千田町一丁目」の部分だけを講堂で耳にした男性だった。

我が子との確証はなく、「もしかしたら、恵子かもしれない」という思いを抱きながら、父は知り合いと一緒に小学校に向かった。

ちょうどその頃、恵子さんは講堂で不思議な夢を見ていた。

「綺麗なお花畑の中に井戸が見えました。そこまで行けば水が飲めると思って、動かない体を引きずるようにして井戸に少しずつ近づいて行きました。ところが、辿り着くと、その井戸はふーっと広がって小川になったのです。小川だ、と思いながら、そこまではっていくと、今度は小川が大きな川に変わりました。あー、川だと思って手を伸ばすと、次に海になってしまいました。その途端、それまで重かった体が軽くなって、空高く舞い上がったのです。体が宙に浮いた時、海も空もなくなって、周囲は純金がキラキラと瞬く空間に変わってしまいました。その中を羽根になったように、私はふわふわと浮いていました」

この上もない幸せな気持ちに包まれた時、突然、遠くから「しげこ(恵子)〜」と呼ぶ声が聞こえた。次の瞬間、恵子さんは父と仲間が運ぶ戸板に乗せられて、家路に着いていた。

後で聞いたところによると、恵子さんの父は講堂で「しげこ~、新本しげこ~」と大声で呼びかけたのだそうだ。床には重度の火傷で顔も判別できない恵子さんのような子供たちが大勢寝かされていた。自分の名を呼ばれて、「ここにいるよ」と答えたことで、我が娘と確認できたが、その顔は大きな黒いボールのように焼けこげて、目も鼻もどこにあるかわからない状態だった。

その2>>

2009年11月、マリナデルレイの自宅での恵子さん

© 2009 Keiko Fukuda

hibakusha sobrevivientes de la bomba atómica
Acerca del Autor

Keiko Fukuda: Oriunda de la prefectura de Oita, egresada de la Universidad Internacional Cristina. Trabajó para una editorial de revista informativa en Tokio. En 1992 viajó a los Estados Unidos y trabajó como jefe de edición en una revista dedicada a la comunidad japonesa durante 11 años. Es freelance desde 2003 y actualmente escribe artículos para revistas focalizándose en entrevistas a personalidades. Publicó junto a otros escritores “Nihon ni Umarete” (nacido en Japón), Editorial Hankyu Communications. Sitio web: https://angeleno.net

Última actualización Julio de 2020

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