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サンバの国でキバランバ! ~ブラジル奄美移民100年の軌跡~

第5回 魚屋を開業、看板に「AMAMI」― 玉利繁弘さん(奄美大島宇検村出身)

奄美大島宇検村の伯国橋(ぶらじるばし)以外にも、ブラジル奄美移民の歴史を伝えるものがある。1955年、サンパウロ在住の奄美出身者たちによって建てられた奄美会館は、残念ながら2002年、他の日系団体に譲渡されたが、その名称に今も「AMAMI/奄美」の文字が残る。また、サンパウロ市営市場にある魚屋の看板にも「AMANI(奄美)」の文字を見ることができる。魚屋を経営するのは玉利繁弘(76)さん(宇検村出身)と、その息子たちだ。

「(ブラジルへは)15歳の時、叔父に付いてきた。だけど自分でも行きたかったから、自発的に来たようなもの」と話す繁弘さん。中学卒業後、ブラジルへ渡るまで3カ月間、奄美大島名瀬市内の大きな商店で配達や雑用の仕事をした。勤め先の親方に「このまま仕事を続けたら高校へ行かせてやる」と言われ、ちょっと心が揺れたが、既にブラジル行きを決めていたので断った。当時はブラジルの知識も情報も何もなかったが、「ただ、行きたい、行きたい」と思っていた。シマ(郷土)を出る同級生たちは東京や大阪など内地を目指したが、繁弘さんにはブラジルの大地しか見えなかった。

ブラジルへ到着してからは、他の移民たちと同じように、苦労に苦労を重ねた。しかし「とにかく来たいと思っていたから、来てから後悔したことはありません」という。20歳を過ぎた頃、漁業関係の会社に勤めた。ほどなくして独立。自分で魚を仕入れ、馬車で行商をする日々が続いた。同郷の妻や義母、子供たちと家族総出で商売に精を出した。市営市場内に店舗を構え、順調に経営を拡大させた。お客さんとの信頼関係を何よりも大切にした。今では、日本人駐在員たちに「ここなら安心して刺身が買える」と言われるほど、ブラジル日系社会で知られる店になった。

繁弘さんはいつも孫のマコトさん(18)=ブラジル生まれ=に「奄美群島航空写真集」を見せながら故郷奄美の話をしている。マコトさんは、大学生になったら日本へ留学して「じっちゃん、ばっちゃんの生まれ育った奄美がどんなところなのか見に行きたい」と、幼少の頃から日本語を学んでいる。

玉利繁弘さん(手前中央右)。手には「奄美群島航空写真集」。サンパウロ市カーザベルヂ地区に住む川畑さん(宇検村出身)家族とともに(2016年1月17日、サンパウロ市にて筆者撮影)

ブラジル奄美移民もすでに3、4世の時代になってきている。彼のような奄美にルーツを持つ子どもたちが、祖父母のふるさとを見るために、奄美に来る日も近い。そんなとき、私たちは彼らに、ブラジル日本人移民は「棄民」だったと言うのだろうか。確かに、ブラジル移民の体験談には、想像をはるかに超える苦労話もあった。移住者自らが「私たちは棄民だよ」と自嘲気味に語ることもあった。だからと言って、私たちが彼らの歴史を「棄民」と、一言でまとめてよいのだろうか。

多民族国家ブラジルの歴史を彩ってきたのは移民たちだ。奴隷解放後の労働力としてブラジルへ渡った人々によって、ブラジル文化を代表するサンバは生まれた。「何もなくともオレたちにはサンバがある」と、生きることの苦しさを歌い踊ることで弾き飛ばしてきた。この生きようとする情熱が、ブラジルの陽気さを形づくっている。そんな国で、今も奄美をつないでいる人々がいる。

ブラジル奄美移民100周年の今年(2018年当時)は、日本人ブラジル移民110周年の節目の年でもあり、日伯両国で様々なイベントが企画されているため、今後ブラジル移民関連の記事などを目にすることも増えるだろう。この機会に、ブラジルへ移民を送り出した側の私たちはもう一度考えたい。ブラジル移民とは、何であったのか。

* * * * *

筆者は本連載が、奄美とつながりの深いブラジルを知るきっかけになってほしいと思っている。筆者が2月に奄美で開催した「奄美ブラジル移民談話会」に、外国に興味があるという高校生が来た。「展示を見て、地球の反対側に100年も前から『奄美』が広がっていると知り、ブラジルや世界をもっと見てみたくなった」と話してくれた。

奄美は世界とつながっている。100年の間、ブラジルで奄美をつないだ人々の歴史を知り、世界に広がる奄美の次の100年の歴史をこれから私たちはどうつくっていくべきか、奄美人の一人として考える。

 

* 本稿は、南海日日新聞(2018年5月24日)からの転載です。

 

© 2018 Saori Kato

Amami Amami kaikan Brazil Kagoshima

Sobre esta serie

1918年、鹿児島と沖縄の間にある奄美群島から「奄美人」がブラジルへ集団移住をはじめた。それからちょうど100年が経った2018年、ブラジルと奄美では「ブラジル奄美移民100周年」を記念して様々な交流事業が催され、次の100年を目指して新たな交流が始まった。従来のブラジル移民史では語られることのなかったブラジル奄美移民について、筆者が2018年4月から5月にかけて『南海日日新聞』に連載した記事に加筆修正して紹介する。