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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(6)

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外の空気、自由の味

ヨシコの父親と母親が、転住局の特別許可をもらって、ハートマウンテンにいる父親のお母さんと妹を訪ねたことがあります。かごの鳥のような生活は知らず知らずのうちに、身と心に澱のようなものをためさせます。ヨシコは二人が帰って来た時の様子に驚きました。

戦争が勃発して以来初めて自分の母と妹に会えたことは、はかり知れないほど父の元気を回復させた。だがそれにも増して、二人の生気をよみがえらせたのは、ほんのしばらくの間だけでも父と母が有刺鉄線の囲いの外で自由に生活できた旅そのものであったのである。父と母がかえってきた時、二人はすっかり様子が違っていた。母はとても美しく朗らかに見えたし、二人とも元気を回復し、若さを取り戻したように思えた。1


有刺鉄線の囲いのなかから志願しろって
———

陸軍は二世の志願兵を募る方針を決めたと、ワシントンから連絡あり。日系人だけの特別編成の戦闘団をつくる旨。長いことこの機会をまっていた二世にとっては朗報だ。2

クラインコップフの日記、1月10日の書き込みです。

1942年11月、ソルトレイクシティに少数のJACLのメンバーが集まり、二世も志願できるように、また日系人だけの特別編成戦闘部隊の提案について、話し合いをしています。アメリカへの忠誠を示し、日系人に対する偏見をただすためには、日系人だけの特別編成戦闘部隊が必要だと言うのです。

政府もこの案を受け入れ、早速、陸軍からアーノルド中尉がミニドカにやってきて、新しい方針の説明会と志願受付をはじめました。2月7日、日曜日に行った第一回目の説明会でのスピーチの一字一句は翌日の2月8日付け、ミニドカ・イリゲーターに英語と日本語で伝えています。同じ紙面に、ルーズベルト大統領からスティムソン陸軍長官にあてた手紙も掲載しています。

陸軍省による、忠誠なる日系アメリカ市民からなる戦闘部隊結成の案をここに全国的に承認する……。3

次の手紙は高校生のベンが、ウィルス先生から、ガーフィールド高校の卒業生で志願した人がいるかとの質問をうけた時のものです。ベンの目をとおしての一世の気持ちが垣間見られます。

1943年4月11日

親愛なるウィルス先生、

志願したガーフィールド卒業生の名前全部はわかりませんが、今思い出せるだけの名前を書いてみます。まず、もちろんケイとエディ・サトウ、ジュン・ハヤカワ、サダオ・ババ、ハリーとビル・ヤナギマチ、フランク・ハタナカ……

すでに兵役についている人の名前をあげてみます。イワオ・カワカミ軍曹はアラスカのどこかの基地に、兵卒のジャック・ハマダはワイオミング、フォート・ウォレン基地にいます。ポール・サカイ軍曹もガーフィールドの卒業生じゃないかと思います。ポールの弟サムは、この学校に来ていましたから。ロバート・カークの名前は先生のリストにありますか?彼は戦争の始まった時にはフィリピンに駐屯していましたが、今どこにいるか、それからどうなったかはわかりません。ヘンリー・ストレノも軍隊に入りました。2、3ヶ月前聞いた話では飛行学校で訓練しているそうです。

…… どうして僕が志願しないのかの理由を少しあげてみます。まず、僕がまだ政府に恨みをもっていることをご理解いただきたい。でも、それだけが僕の志願しない理由ではないのです。政府は、強制的に収容した者に対して、志願しろという立場にはないと信じます。いずれにしろ、遅かれ早かれ徴兵されるという気はします。アメリカ人は徴兵を免れませんから。もし軍隊にはいるのだったら、僕は陸軍です。でも、ほかの軍を希望する人には、すべての分野が開かれていることを希望します。収容所から出て生活している人から志願兵を募るのだったらいいと思います。収容所から出て半年から1年ぐらい自由な生活をしている人からだったら……。

多くの一世は、アメリカ政府にたいして憤慨しています。平気で市民権のある自分たちの子どもを囲いのなかに投げ入れ傷つけておいた上で、志願しろとか、あげくの果ては徴兵もありうるなんて。第一次大戦の時、志願した一世もいました。その功績でこの国への市民権を約束されました。それまでよりもいい待遇を約束されました。これらの年老いた一世は言います。今のおれたちはどうだと。アメリカの市民権はもらったか?前よりもいい扱いを受けているか?僕たちの仕事はどうなった?子どもたちは、アメリカ人なのに、犬のように踏みにじられている。それもアメリカ人に。政府は前の戦争の時にたくさんの約束をした。今度の戦争でもまた多くの約束をしている。今回の約束も過去の約束と同じ位の価値しかないさ、と。

ウィルス先生、どうして多くの一世がアメリカ政府にたいして厳しいか、お分かりになりますか?

それだけじゃないんです。僕たちがこの転住所に着いた時には、まだ建設中だったんです。本当に数多くの家族が、全然知らない家族と一つの部屋を共同で使わなければなりませんでした。また、レクリエーション用のバラックに見知らぬ家族と一緒におしいれられた人もいました。暑いし、いつも風がふき、部屋のなかまで砂埃で、もやがかかったようです。部屋から砂埃を追いだすのは不可能。母が日に6、7回部屋中を拭ききよめていたのを覚えています。お湯は出ませんし、水は塩素を含み、そのにおいと味は胸が悪くなるほどです。便所は野外です。男性用は仕切りがありません。(いまだにないんです。)気温が零下(摂氏では零下18度以下)になるとトイレに行くにもこたえます。また、暖をとる石炭も不足しています。雨が降ると埃はおさまる反面、道はぐじゃくじゃになり、長靴を履かなくてはいけません。端的にいえば、収容者が辛辣になったとしても、誰もとがめることができないほどの、不必要にして心地悪い生活をしいられています。

…… 僕は今、自動車整備工のクラスで勉強しています。……ケイ・サトウが徴兵されたらすぐに、僕はもっとこの方面の知識を得るために自動車整備工の助手として自動車修理工場に行くつもりです。自動車整備工としての勉強をした後の方が、より軍隊に貢献できると感じています。また、日系人だけの戦闘部隊には反対です。もう少し待てば、もう一回、志願する機会があると考えています。……

本を書こうとは思っていなかったのですが、長くなりました。僕の長々としたおしゃべりをお許しください。
                                                                いつまでも    ベン4

忠誠登録———早春

両親の国に忠誠を尽くすか、自分の生まれ育った国に忠誠を誓うか、日系の若者に課せられた難しい決断
(ヘンリー・杉本画/和歌山市民図書館所蔵)

政府は、再び収容所で暴動がおこらないように、アメリカに忠誠を誓う者とそうでない者を区別する必要性を感じていました。忠誠を誓うものは、早く収容所から出して、普通の生活に戻すのが妥当だとも思い始めていました。陸軍も、志願兵を募る時に、忠誠かそうでないか区別する必要があるので、今回政府は、陸軍と一緒に使える質問書を作り、17歳以上のすべての被収容者に配りました。 

この質問書の目的は、「内陸部の地区に転出を許可してもいいのは誰か、を見極めること。二世の男性達に、兵役を通して、アメリカ魂を見せる機会を与えることで、世論の改良をはかること。そして、アメリカ政府に不忠実と見られる人物を隔離すること」でした。物議をかもしたのは、質問書最後の二つの質問で、「27番目の質問は、二世の者がアメリカ軍入隊の意志があるか、28番目の質問は、アメリカ合衆国に忠誠を誓い、日本国天皇への忠誠を『破棄』するか」というものでした。5

この二つの質問は家庭内だけでなくコミュニティを分裂させることになります。この問題にイエス、イエスと答えた人、ノー、ノーと答えた人、条件付きで答えた人のその後と、トパーズ収容所で日本語図書館設立に奔走した一世たちの話は次回でゆっくりと。

第四章 >>


注釈:

1. 前掲「荒野に追われた人々———戦時下日系米人家族の記録」

2. Kleinkopf, Arthur. Relocation Center Diary 1942 - 1946, Hagerman: Minidoka Internment National Monument, 2003.

3. 前掲「日系アメリカ人のエスニシティ———強制収容と補償運動による変遷」

4. Letter dated April 11, 1943. Elizabeth Bayley Willis Papers. Acc. No. 2583-6, Box 1. University of Washington Libraries Special Collection.

5. http://nikkeijin.densho.org/reference_ch3_04_loyalty_registration.html

 

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第135号(2013年10月)からの転載です。

 

© 2013 Yuri Brockett

camps children loyalty questionnaire World War II

Sobre esta serie

東京にある、子ども文庫の会の青木祥子さんから、今から10年か20年前に日本の新聞に掲載された日系の方の手紙のことをお聞きしました。その方は、第二次世界大戦中アメリカの日系人強制収容所で過ごされたのですが、「収容所に本をもってきてくださった図書館員の方のことが忘れられない」とあったそうです。この手紙に背中を押されるように調べ始めた、収容所での子どもの生活と収容所のなかでの本とのかかわりをお届けします。

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第133号~137号(2013年4月~2014年4月)からの転載です。