Descubra a los Nikkei

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黄金の日々

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遠い昔の思い出と言うものは心に残り、又、その時を体験したもの同士が、それを語り合う時には何とも言えない満足感に満ちた一時がそこに漂い、見ている人もそれに感激することがたびたびある。私が、亡母(84)と伯母春子(92)、叔母澄子(80)の話を聞き、それを書き残す事にしてから、何度かそんな経験をしたことがある。それは叔母の澄子が話を切り出し、非常に席が盛り上がった時の事であった。

1936年ごろ、サンパウロ近郊のサント・アンドレーが舞台である。当時、父、宇一(53)を長とする奥村家は、移民生活7年目であった。転々といろんな耕地を廻り、やっと、サント・アンドレーのオラトリオと言う所に土地を借りて、そこでジャガイモを作っていた。

奥村家のその当時の家族構成は次の通りであった。宇一と妻・のぶ(50)、長男・忠(25)、次男・孝(22)、次女・敏子(20)、三女・静子(18)、四女・澄子(16)、五女・弘子(14)、六女・恵美子(12)、それに姪の妙子(9)であった。長女の春子はすでに結婚していた。次女の敏子は私の母で、その頃はタバチンゲーラ街にあった東洋ホテルに勤めていた。

No jardim japonês de Santo André em 1938. Toshiko à direita e Shizuko à esquerda. Atrás Sumiko, Hiroko, Emiko e Taeko.

敏子は、週末になると、帰宅の際に稼いだ少ないお金を持ち、バスを降りてすぐの肉屋に寄りコステーラ(あばら骨つきの牛肉)を2キロも買い、ジャガイモ畑を早足に横切り帰宅するのだった。敏子の帰宅を笑顔で迎えた父の宇一は、敏子の持ち帰ったコステーラが何よりも嬉しく、待ってましたとばかり直ぐにシチュー作りを手掛けるのであった。

いうまでもなく、奥村家には、粒ぞろいの年頃娘たちを目当てに訪れる若者達が後を絶えず、その地域では評判であった。このシチューは、週末に訪れる若者達のためでもあった。

ブラジルにくる前、宇一1は熊本市で料亭を経営していた。そのため、夫婦は客扱いが得意で、ブラジルに来てからも若者など集めては一緒に酒を飲み、日露戦争などの体験談を自慢して語り、話に花を咲かせるのが大好きだった。宇一にとっては、自分たち夫婦は食べなくても、客にご馳走を作り楽しませるのが何よりの楽しみであった。米がなくなると隣に走って借りに行かせ、追加飯を作らせるのであった。バラック小屋みたいな家の中で、長くて分厚いテーブルだけが迫力を見せていた。それを取り囲んで若者達の笑いが絶えず、ほがらかな週末が来るのが待ち遠しかった。

Ryotei Fujiya de Kumamoto em 1920

適齢期の青年達も、週末が近づくと奥村家の夕食の席に加わりたい思いと期待感が高まる。前の日になると積極的な若者は「奥村さん、そこまで来たので手伝いにきましたよ…」と言っては、エンシャーダを持ったり、ジャガイモを洗っては袋に詰めて小屋に運んだりするのであった。宇一も待っていたかのように、「おう、来たかいな!」と言って笑顔いっぱいで迎え入れるのであった。

奥村家には、2、3人寝泊り出来る様になっていた。部屋が無かったので刈って干したとうもろこしの山積みの上に、ごろ寝するのであった。

土曜日は決まって母・のぶが熊本名物料理の「団子汁」を作た。それを知っていた青年たちは「奥さん、また団子汁、めしあがりにきました!」と団子汁を口実に、みんな年頃の娘達を目当てに来るのだ。

考えて見ると70年も前のサント・アンドレーは、かなり田舎町で今で言えば、サンパウロのアルジャやPLゴルフ場辺りにあるような、畑交じりの家の集まりの様に思える。そこまで汽車に乗り、バスに乗り換え、さらに2、3キロ歩いてたどり着くような所に、良くもまあご苦労なことだったと思うが、世代は替わってもおじいちゃん、おばあちゃん達も私達と同じ様な体験をしているのだと、当然のような事を思い知らされた。

しかし、運命と言うものは皮肉な所がある。思いも依らぬ縁で結ばれるものと、なんぼ出来そうな環境にいながら後一歩と言う所で結ばれなかったり、一生の運命が決まるのである。不思議な事に伯母の話を聞いて、あのサント・アンドレーの若者達で好いて好かれた気の合った者同士もいたにもかかわらず、そこで結ばれたものは誰もいなかった事である。

今は遠い思い出で「あの人は未だ生きていらっしゃるだろうか」「オラト―リオのあのジャガイモ畑のあった所はどうなっているだろうか」と目を細めながら懐かしくつぶやく声には、何か淋しそうな所があった。たぶんあの時期が、生涯で一番思い出に残っていて、富は無くとも黄金の日々であったのかもしれない。

注釈:
1. 私の母方の祖父、奥村宇一(1883-1960)は日露戦争で野木希典大将の律いる第3司令軍団の三等兵として戦った。5人兄弟の下から2番目であって、5人とも日露戦争で戦って、異例なことに、5人とも生存者として無事帰国した経歴がある。1930年にブラジル移民としてマニラ丸で海を渡るまでは、熊本市で「不二家」と言う料亭を経営していて裕福な生活をしていた。移民したのは、福岡県の金山の事業に手を出し、倒産した為であった。

* 本稿は、サンパウロ新聞のコラム「読者ルーム」に掲載された(2004年9月11日)ものを加筆修正したものです。

© 2004 Hidemitsu Miyamura

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Sobre esta serie

En 1934, a los 19 años, emigraron solos a Brasil y, a partir del diario escrito por su padre, fallecido en Brasil a los 81 años, y de las vivencias de la familia de su abuelo, se describe el viaje que emprendieron. en la columna del periódico de São Paulo “Sala del Lector”” (abril de 2003 a agosto de 2005). Compiló las columnas y las publicó en 2005 como "Un encuentro que fue infinitamente distante". En esta serie, presentaremos algunos de los episodios.

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Acerca del Autor

Nacido el 1 de enero de 1944 en Paraguasu Paulista, hijo mayor de Suemitsu Miyamura y Toshiko. Durante su infancia estudió japonés en la ciudad de Apukarana, norte de Paraná. Egresado de la Facultad de Ingeniería de la Universidad Nacional de Paraná en 1967. Se incorporó a NEC Brasil Corporation en 1968 y se jubiló en 2001. Este año se independizó y desarrolló una nueva industria del reciclaje. Tiene un hijo (Hidehiro Douglas) y una hija (Hiromi Erica) con su esposa Kayoko Alise. En 2005 publicó una colección de ensayos titulada "Encuentros infinitamente distantes". Publicado en el periódico de Sao Paulo, etc. Mi hobby es leer historia.


(Actualizado en enero de 2013)

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