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来日就学生物語 ~マイグレーション研究会メンバーによる移民研究~

第4回(後編) 彷徨(咆哮)する魂 ―帰米作家あべよしおの軌跡―

>>前編

3. あべの特異な作品世界

1972年に出版された3巻本『二重国籍者』の、第1巻はサンタ・アニタの仮収容所が、第2巻はグラナダ転住所が舞台であり、第3巻はインドでの連合軍情 報部員としての生活が描かれる。つまり自伝的とはいうものの、あべが3巻を費やし克明に描いたのは収容所時代と続く数年のみである。帰米としての波乱に満 ちた生涯のなかで、特に収容所生活を描こうという明確な意図があったわけだ。しかし出版当時はまだ一般に収容所体験が語られることがなく、ほとんど無視さ れる結果となった。別の言い方をすれば、内容と出版時期がうまくかみ合わなかった不運な作品ともいえるだろうか。

しかし何といっても『二重国籍者』を他と一線を画する作品と感じさせ、収容所を描いた作品を読みなれた読者にも一種異様と映る要因は、その露悪的と もいえる容赦のない筆致だ。収容所内の人間模様はこれまでさまざまに描かれてきた。家庭内の不和や断絶、世代間の対立や忠誠をめぐる争いなど、否定的な側 面も描写されてきたが、総じて収容所内の人々は、理不尽な捕囚の辱めを受けながらも「ガマン」を自らに課す善人たちだった。ところがあべ作品では、人間性 の暗部が赤裸々に暴露される。バチェラーズ・クォータと呼ばれる独身宿舎での「ブランケかつぎ」たち(毛布を担いで農場を転々とする季節労働者で、写真婚 で妻を呼び寄せる資力がなく独身を余儀なくされている人々)の放談ぶり、「草の葉後家」(夫が兵役中もしくは抑留中で、独居生活を送っている夫人たち)の 乱行ぶり等々、枚挙にいとまがないが、それを引用によって示すのは容易でない。過激な表現が時折あるのでなく、全編おしなべてそうだからだ。二世の娘をも つある母親は「このキャンプにはどんな素性のものがいるかわかったもんじゃない」(第1巻261)と嘆じ、「腐れ切ったキャンプにいるよりよそへ行ってく れたほうが安心。イチゴや野菜とおなじで、わるいやつがまわりにあると腐りがまわるのが早い」と、娘の早い出所を願うのである。かつて、またおそらく今後 も、この作品以上に赤裸々かつ露悪的に収容所体験が語られることはないだろう。

ところでこれは『二重国籍者』に限ったことではなく、あべ作品おしなべての特徴だ。『NY文藝』では第2号以降、前号の合評会の模様が掲載されてい るが、たとえば第2号では匿名で、創刊号のあべ作品に対して「光がまるで感じられない暗い作品だ」「初めから終わりまで救いがない」(20)といった批評 が相次ぐ。第5号の合評会では発言者が明示され、他ならぬ秋谷一郎がこう評している。「非常に物語が悲惨で、(中略)餓鬼道の要素が重なり合っているよう で、こう何か、人間は何か救われないものかのような感じで書かれている」(152)。こうした感想が、一般読者ではなく志を同じくする同人仲間からあがっ ていることに、作家としてのあべの業の深さを感じずにいられない。

4. 帰米という経験から学ぶこと

あべと秋谷の道を分けたのは何かという問いが、すぐさま浮かぶかもしれない。しかしむしろ、対照的とみえる二人の人生が、共に帰米という経験に発している とみる視点こそ重要ではないだろうか。もとより帰米とは、周縁化された日系コミュニティにあってさらに周縁化を余儀なくされた人々だ。日系人は誰もが、国 家および文化の狭間にあってさまざまな苦難を強いられた。しかし多感な時期を日本に過ごし、戦時中は敵性外国人として収容所に送られ、収容所時代もその後 も常に異質分子として同胞に忌避されがちであった帰米にとって、「自分とは何者か」という問いは、幾重にも深く重くのしかかったことだろう。そしてあべも 秋谷も、この問いと真摯に向き合って生きたことは間違いない。その進んだ方向が対照的にみえるとしても。

『NY文藝』同人のはやしてつまろは、第8号で、あべの「ルーミング・ハウス」なる作品を次のように評している。

これは一見疲れた小説である。カミュの『ペスト』や『異邦人』を連想させる希望なき人生、救いなき人生に、希望と救いと意味を求める大野の姿を、冷 酷な筆致で描いている。救いなきことを半ば知りながら、それを求めざるを得ない人間は、あべ氏の得意とする人間像のひとつである。(84)

他ならぬあべ自身が「救いなきことを半ば知りながら、それを求めざるを得ない人間」であった。誰よりも重く、その業を背負って生きた人でもあった。 モデルマイノリティの名に相応しく抑えた筆致の多い日系作家のなかにあって、あべの赤裸々かつ容赦のないスタイルはきわめて特異であり、読者に苦痛を強い た。また収容所体験を世に出そうという強い使命感も、世に先んじていたがために、日の目を見ずに終わってしまった。しかし「自分とは何者か」という問い に、あべ以上に激しく妥協なく向き合った日系作家はほかにない。私たちは、あべよしおという作家を忘れてはならない。

参考文献
あべよしお. 1972. 『二重国籍者』, 東京:東邦出版社.
石川好. 1995.「解説:帰米二世という名の日本人」山城正雄『帰米二世:解体していく「日本人」』, 東京:五月書房.
カール秋谷一郎. 1996. 『自由への道、太平洋を超えて:ある帰米二世の自伝』, 京都:行路社.
篠田左多江, 山本岩夫編. 1998.『日系アメリカ文学雑誌集成・NY文藝』第13-15巻,東京:不二出版.

© 2009 Tomoko Yamaguchi

Sobre esta serie

関西居住の学徒が移民・移住に関わる諸問題を互いに協力しあって調査・研究しようとの目的で。2005年に結成された「マイグレーション研究会」。研究会メンバー有志による、「1930年代における来日留学生の体験:北米および東アジア出身留学生の比較から」をテーマとする共同研究の一端を、全9回にわたり紹介するコラムです。