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日本ペルー新時代へ - カプニャイ駐日ペルー大使にきく

昨年は日本人のブラジル移民100年の年で様々なイベントが繰り広げられたが、今年はペルー移民から110年、そしてペルー人の日本への移住から20年の記念の年を迎えている。しかし、在日ペルー人は経済危機をきっかけに仕事を失うなど厳しい現実に直面している。ファン・C・カプニャイ駐日ペルー大使はそうした困難を乗り越え、今年を「両国の新しい時代の始まり」にしたいと言う。大使に日本とペルーの関係や在日ペルー人の状況などについて聞いた。(聞き手は多文化情報誌イミグランツ編集長・石原 進)

――地球の反対側にあるペルーは距離的に遠い。しかし、親密な関係が100年以上続いている。まずは両国関係から語っていただけますか。

大使 ペルーは日本と国交を結んだラテンアメリカで最初の国です。いまから136年前の1873年のことです。その関係は非常に深く、南米で日本の移民を最も早く受け入れたのもペルーです。110年前から始まった日本からの移民が、ダイナミックな交流の歴史の始まりです。日本の学者や研究者がペルーにおいて文化や歴史を研究して昨年でちょうど50年になりました。ペルーの考古学的な歴史遺産の多くは日本の学者・研究者によって発掘されています。その歴史遺産が今年7月に日本に運ばれ、2年をかけて日本全国で巡回展を行います。インカ帝国のルーツといわれる黄金の都シカンの特別展です。

――日本とペルーはいま、政治的にはどんな関係にありますか。

大使 今年は文化的にも政治的にも経済的にも意味のある年だと考えています。昨年3月にガルシア大統領が来日しましたが、記念すべき年への動きはそこから始まっています。大統領は福田康夫首相(当時)と会談し、両国の関係をより深めていくことで合意しました。昨年11月には、両国は投資の推進に関する協定に署名しました。日本ペルー経済委員会が活動を再開し、現在、経済連携協定(EPA)の締結に向けて話し合いを進めています。EPAについては4月中旬に麻生太郎首相とガルシア大統領の電話会談で、交渉を促進することで合意しました。今年2月には、JETRO(日本貿易振興機構)で「ペルー展」が開催され、そこにはペルーから外務大臣と貿易観光大臣が来日して参加しました。4月25日にペルーは日本のデジタル方式を採用することを公式に発表しました。これは南米でブラジルに次ぐ動きです。これから両国の関係がさらに深まっていくでしょう。

――ペルーの日系人はどのように暮らしているのでしょうか。

大使 日本の移民は初めのころ、主に海岸線に入植し、さらに少しアンデス山脈に入ったところに住みつきました。当初は商業と農業に従事していました。北部ではフルーツの柿を作った農家もありました。移民は日本の習慣もペルーに持ってきました。食事に関しては、「ティラデート」という生の魚を使ったペルーの代表的な料理がありますが、これは日本のお刺身が始まりです。現在の日系人は10万人から12万5千人といわれていますが、彼らは経済界、特に貿易や生産部門で活躍しいています。文化的にも、画家とか詩人とか作家、広くいろいろな分で活躍しています。外交官として在日大使館や名古屋の領事館でも重要な役割を果たしています。

――日本の法務省の統計では、在日ペルー人は約6万人にのぼります。日系人では在日ブラジル人31万7000人に次ぐ数です。経済危機の影響はどうでしたか。

大使 在日ペルー人は最初のころ、自動車の工場で働く人が多かったが、サービス業をはじめIT関係、事務補助などと仕事は広がっています。とはいっても、大多数は工場で働いており、経済危機の直撃を受け、困難な状況に陥り困っている人がたくさんいます。状況は日系ブラジル人と似ていますが、同じではありません。在日ブラジル人はより若い人が多いのに対し、ペルー人は日本で長年、家族で暮らし、子供が学校に行くなど日本の社会に溶け込んで深い関係を持っています。神奈川県の大和市とか愛知県にはペルー人のコミュニティーがあります。

――在日ペルー人も定住する人が増えているわけですね。

大使 大学に通う子供も多く、日本に根をおろして暮らしていると思います。ペルーに帰るという観点でなく、日本でどう暮らすかという意識を持っています。子供の教育では、ペルー人学校もありますが、通っているのは100人あまりで、ほとんどは日本の学校に通っています。日本で暮らしながら彼ら自身が確認しなければならないのは自らのアイデンティティです。言語とか文化とか、習慣を再確認しなければなりません。

――経済危機で仕事を失った人たちが帰国しないで日本で暮らしていくには再就職しなければなりませんが。

大使 小渕優子大臣が担当する内閣府の「定住外国人施策推進室」が日本語教育のプログラムを設けているので、そういうところでペルー人は勉強を始めています。職業訓練にも取り組んでいます。コミュニティーではIT関係のセミナーを催し、どうすれば起業できるかというセミナーを開いています。このようなペルー人のコミュニティーやプレスの支援を得て行うセミナーは、私たち大使館とJETRO、または領事館とペルーの企業が主催して、すでに名古屋でいい結果が出ているケースがあります。これから東京でも中小企業を起業するためのセミナーを開く準備が進められています。例えば貿易には商工会議所の紹介とか、輸出元の紹介をしています。日本社会に迷惑をかけるのではなく、社会に溶け込んでビジネスをするということです。

――ペルー政府の支援もあるのですか。

大使 昨年3月にガルシア大統領が当時の福田首相に在日ペルー人を支援してほしいと要請しています。日本政府が定住外国人施策支援室を開設した時、私たちは外交官として最初にあいさつにいきました。今年の2月にペルーの外務大臣が来日した際には小渕優子大臣にも会っています。両国でともに取り組める事業を提案しています。中曽根弘文外務大臣とも会談し、在日ペルー人の問題を解決するためお互いに協力したいと話をしました。在日ペルー人の問題を解決するため対話を深め、ネットワークを広げる努力をしています。

――仕事を失った日系人への日本政府の帰国支援事業は再入国を制限していることが批判を呼んでいますが。

大使 私としては全体的な観点でみないといけないと考えています。帰国して2度と日本に戻って来ることができないということは、日本ではもう働けないということ。いろいろ考えてみなければいけない。外国人を帰国させるという政策はヨーロッパで採用されています。ただ、そういう政策は十分には機能していないようです。例えば日本だけが経済危機であるなら帰国すれば問題は解決するかもしれませんが、そういうことでなく世界全体の経済危機なのですから。再入国に関してはある程度期間を決めることも必要かも知れません。大使館の立場としては帰国しないで仕事ができるようセミナーの支援などをしています。(河村建夫官房長官は5月11日の衆院予算委員会で、帰国支援事業で帰国した日系人について、原則3年をめどに再入国を認める方針を明らかにした)

――在日ペルー人の果たすべき役割とは何でしょうか。

大使 日本の社会の中でダイナミックに両国の国民の交流が進んでいます。在日ペルー人は経済分野、社会的分野で大きな役割を果たすと思います。日系ペルー人は勤勉であり誠実であり、丁寧であり非常に訓練され、行儀もいい。これから日本の経済にどのように貢献できるのか。日本の社会の荷物にならないよう、日本の社会の発展に貢献できたらと考えています。

――最後に改めてペルー移民110年の意義を語ってください。
大使 移民110周年を迎えるということは両国の新しい時代の始まり、新しい道の始まりと考えています。今後、日本とペルーはともに世界を見ていくということ、ともに自由貿易協定に向けて交渉を進めることで、相互に利益を得られるでしょう。文化的な面では「シカン展」をより多くの日本の人たちに見てもらいたいし、さらに実際にペルー観光に足を運んでもらいたい。またペルーの素晴らしい産品を享受していただきたい。両国は深い豊かな関係を構築してきました。これからは未来に向けて両国の関係をさらに発展させていかなければならないと考えています。

*本稿は『多文化情報誌イミグランツ』 Vol 2より許可を持って転載しています。

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