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戦時中の米国、中国系少年と日系少女の悲恋ベストセラー「あの日、パナマホテルで」から読み取るものは ― その1

Ryusuke Kawai

日中関係が険悪になり、なんとか事態が改善の方向へ進まないかと最も気をもんでいるのは、中国在住の日本人と日本に在住の中国人ではないだろうか。なかでも、日本人と中国人のカップルはその思いを強くしているだろう。

もっと日系の意見を聞いてくれればいいのにシアトルの日系スーパー、宇和島屋・モリグチ会長 - その2

Ryusuke Kawai

その1>>日本人からアメリカ人になっていく不思議さ ――明治時代から多くの日本人が移民として海外に出ましたが、同じ頃日本の地方から多くの人が東京などの都市に出ていきました。たまたま向かった先が国内か海外という違いが、後の世代にとっては非常に大きな違いになりますね。

もっと日系の意見を聞いてくれればいいのにシアトルの日系スーパー、宇和島屋・モリグチ会長 - その1

Ryusuke Kawai

アメリカで最も成功した日系資本のスーパー、Uwajimaya(宇和島屋、シアトル)の歴史については昨日紹介した。長年にわたってその経営をリードしてきたトミオ・モリグチ(森口富雄)会長は、ビジネスのみならず日系2世として、現地の邦人紙・北米報知(The North American Post)の発行や、日系人の高齢者福祉の観点から生まれたNPO、日系コンサーンズ(Nikkei Conscerns)の運営などアメリカの日系社会でのさまざまな文化、福祉活動にも積極的に関わってきた。

アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その2

Ryusuke Kawai

その1>>顧客は日系、アジア系、非アジア系というバランス一方、品揃えについては、日系人・日本人を対象にスタートしながら徐々に日本食の広まりをとらえて変化させていった柔軟さが業績を伸ばした。

アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その1

Ryusuke Kawai

ずらり並んだ日本酒の瓶。ここ数年の日本酒ブームでどこのスーパーの酒類売り場でもずいぶんと銘柄が増えたものだが、この店ではビンについた値札がすべてドル($)表示。といっても免税店ではない。

70年代、日系アメリカ人が遠いヒロシマへ捧げた歌

Ryusuke Kawai

9月、アジア系アメリカ人文学の研究者たちの集まりに出席したとき、珍しい音源を入手した。出席者の一人で、アジア系アメリカ人が1980年代に設立した音楽NPO「Asian Improv aRts/Records」(AIR)の日本通信員をつとめる神田稔さんからいただいたものだ。

世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その3

Ryusuke Kawai

>>その2沖家と酒井家沖氏のおかげでいくつかの謎が解けたというか、コロニーがどういう歴史的な経緯で誕生したかが浮かび上がってきたが、さらに沖氏の姉である長屋光子さんからは、沖家やコロニーについてのエピソードを聞いた。長屋さんは、祖父である光三郎氏のことを覚えていて、「体が大きくて、厳しい人だった」と振り返る。また、祖母とは田舎(峰山町)の大きな門構えの家で小さいころ一緒に暮らしていたこともあったという。

世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その2

Ryusuke Kawai

>>その1 謎が解け、コロニーの背景もこうして酒井氏と知り合ったことをきっかけとして、これ以後何人かの人たちに取材できたことで、酒井襄氏に関する謎が一気に解けていっただけでなく、ヤマトコロニーが誕生していく歴史的な背景が明らかになっていった。というのは、電話で連絡をとった隆子さんから教えてもらった沖守弘氏という写真家にまず出会ったからだった。

世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その1

Ryusuke Kawai

明治時代にアメリカの南東部にあるフロリダ州に農業移民としてわたった人たちの歴史と、その地が現在モリカミ・ミュージアムという立派な博物館と日本庭園 に姿を変えていることを、過去2回にわたって紹介してきた。(参照:「フロリダの日本庭園とコスプレ」、「フロリダと天橋立」)

世界のなかの日本と世界

フロリダと天橋立-その3

Ryusuke Kawai

その2>>100年後のフロリダと宮津をつないだ酒井襄とは?以上が、ヤマトコロニーと森上氏の歴史であるが、おさらいしてみればわかるように、最終的にこの「モリカミ」が誕生したその発端は、森上氏との直接の関係で言えば酒井襄氏である。記録によれば、彼は1874(明治7)年生まれで95年に同志社を出て、同志社の創始者である新島襄を見習ってアメリカへ渡ったという。名前の襄も、新島襄に倣ったらしい。50歳前にアメリカで亡くなっている。

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About

日本のジャーナリスト、ノンフィクションライター。
ジョン・オカダの小説「No-No Boy」を読んだのがきっかけで、日本人移民、日系人について興味をもつ。もっと日系アメリカ人のみなさんに日本に来てほしいと願っています。 

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