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JACLの日本支部―「絆」をつくることが最大の課題
Takamichi "Taka" Go
皆様は、JACLと言う日系アメリカ人の団体をご存知でしょうか?JACLは、1929年、アメリカ西海岸地域に住む二世の若者らによって、日系人の人権を「護る」ことを目的に設立された団体です。戦時中は、日系社会にたいしてアメリカ政府への全面的な協力をよびかけたため、日系社会に「亀裂」をつくったことは、今でもJACLの「汚点」とされていますが、1970年代から1980年代にかけて展開されたリドレス活動(戦時中の強制収容などにたいする賠償要求運動)では、JACLによって活動が成功したといっても過言ではないでしょう。現在、JACLは全米各地に支部をもっており、今でも日系人をはじめとするマイノリティの権利向上の為の活動を続けています。

『羅府ぎぎゅう音頭』の著者、佐藤健一先生を訪ねて - その2
Takamichi "Taka" Go
その1>>初めての佐藤先生とのインタビューが終わったあと、私は羅府に足を運びその内容を藤田さんに報告しました。藤田さんは、先生とのつながりをつくることが出来たことをとても喜び、LTRの撮影もかねディレクターの陳さんを伴って日本を訪問することを決めました。

『羅府ぎぎゅう音頭』の著者、佐藤健一先生を訪ねて - その1
Takamichi "Taka" Go
一昨年秋より、わたしはリトル・トーキョー・レポーター(LTR)という、日系一世である藤井整の生涯を描いたドキュメンタリー映画の制作をお手伝いしています。(その経緯については『「正義の闘い」を映像に―藤田キャロル文子さん』を参照ください。)今回はこの映画制作における「要」ともなった資料である『羅府ぎぎゅう音頭―排日土地法を葬った藤井整の記録』(1983年)を書いた佐藤健一先生を訪問したときのお話です。

「正義の闘い」を映像に―藤田キャロル文子さん その2
Takamichi "Taka" Go
その1>>藤田さんの「闘い」藤田さんが、藤井整氏の生涯に強い興味を持つようになったきっかけのひとつは、彼女自身が、日系史のみならず、アジア太平洋系アメリカ人の歴史において、「重要な役割」を果たしたからです。そのような過程をへて彼女は、彼との「つながり」を意識するようになったとのことです。

ある日系人との出会いから ―その2/2
Takamichi "Taka" Go
その1>>台湾系日本人として台湾にルーツをもつ日本人であるわたしは、良くも悪くも、単一民族という考え方が浸透している日本の社会においては、異質な存在です。

ある日系人との出会いから ―その1/2
Takamichi "Taka" Go
日本人にとって日系人は、遠くて近い存在なのでしょうか?確かに、日本人と日系人の関係は、日本がはじめた日米戦争によって、亀裂ができてしまったとされています。そのため、多くの日本人にとって、日系人について、その多くを理解するための機会が限られています。しかしながら、わたしは、これまで出会った多くの日系人との交流や、親しくしてくださるFさんやHさんのことを考えると、どうやら、日本人と日系人の関係は、お互いをよく理解しあう人々によって、しっかりと保たれてきたと思うのです。

マンザナーへ、そしてマンザナーから
第6回 (後編) 東カリフォルニア博物館へ
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前編>>東カリフォルニア博物館の日系史にかんする展示において、特筆すべき点は、博物館のなかにおいて一番に訪問者の目をひく、バラックの内部を再現した展示です。

マンザナーへ、そしてマンザナーから
第6回 (前編) 東カリフォルニア博物館へ
Takamichi "Taka" Go
マンザナーでの実習は、3日目を迎えました。私はキャリーさんと一緒に、東カリフォルニア博物館(Eastern California Museum)を訪れました。

マンザナーへ、そしてマンザナーから
第5回 マンザナー二日目
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マンザナーにきて二日目、わたしは寒くて朝早くに目が覚めてしまいました。時計を見るとまだ6時でした。寒くて目が覚めてしまった経験は、実に数年ぶりでした。