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日系人社会における市民権の問題について:「N・R・A・の米國」を読んで思ったこと
Takamichi "Taka" Go
ロサンゼルスで1931年に加州毎日新聞社を立ち上げた藤井整は、1934年11月に「N・R・A・の米國 附在米日本人の産業」を出版しました。1 彼がこの本を出版した主な目的は、世界恐慌のさなかに、アメリカ政府が打ちだしたニュー・ディール政策の詳細や当時の国際関係を、日系人社会に伝えるためでした。

日本建築の美しさを世界に―中谷新七と桑港の日本庭園
Takamichi "Taka" Go
今から5年ほど前、わたしはロサンゼルス郊外に住む広島県系(廿日市)の日系二世、中谷カツヤさんに会う機会がありました。初めて彼の自宅を訪れたとき、初対面にもかかわらず、みずからの人生経験を詳細に語ってくれたこと、日本の親族のことを紹介してくれたことをよく覚えています。

日系人社会における「分裂」について
Takamichi "Taka" Go
今回は、誰もが言及したくない話題について、あえて言及したいと思います。その目的は、読者にたいして特定の考え方を押しつけるためではなく、現在進行形で発生している問題の「核心」について一緒に考えてみたいからです。

アジア系アメリカ人研究―その誕生から現在まで
Takamichi "Taka" Go
2009年5月26日、長年にわたって多発性硬化症と闘ってきたロナルド・タカキ先生が、自らの命を絶ちました。彼がおよそ四半世紀にわたって闘病生活をしていたことはすでに人々の知るところではありましたが、突然の訃報に、多くの人々が驚かされました。

「消えた」総領事館
Takamichi "Taka" Go
現在、羅府の日本総領事館は、小東京から数マイル離れたバンカー・ヒル地区のカリフォルニア・プラザという高層ビルのなかにありますが、かつては小東京のサン・ペドロ街と1番街の交差点にある、鹿島ビルの14階と15階にありました。鹿島ビルは1967年に日本の建設会社によってつくられたビルで、戦後の小東京を象徴する存在のひとつといってもよいでしょう。

ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを許すな!―9.11同時多発テロ事件後の日系人コミュニティ
Takamichi "Taka" Go
第2次世界大戦前のアメリカ社会における反日感情と、それにともなう日系人にたいする大小さまざまな差別的待遇については、すでに周知のことだと思います。全米日系人博物館やマンザナー国定史跡資料館などでは、当時の反日感情や日系人差別のすさまじさを物語るいくつかの資料を目にすることができます。

目玉先生、ニッポンを語る
Takamichi "Taka" Go
今年の春、日本の高等学校で英語を教えていた若き日系人教師、ノーマン・ミキ・デザキ先生が、英語によるディスカッション授業のテーマのひとつとして、日本社会における差別問題を取り上げました。このときの授業内容をまとめた動画をインターネットに投稿したところ、「ネット右翼」とよばれるネット上で侮辱的な表現を用いて右翼的・保守的な発言・活動をする日本人から激しいバッシングにあったという出来事がありました。

「リトル・トーキョー・リポーター」封切後のアジア大洋州系コミュニティの反応と今後の展望
Takamichi "Taka" Go
高まる関心: 映画祭における数々の受賞 先日、わたしが「リトル・トーキョー・リポーター」のエグセクティブ・プロデューサーの藤田さんと電話で話をしたとき、彼女の映画が映画祭で高く評価されたと、とてもうれしそうに話してくれました。