Stuff contributed by albertomatsumoto
The Nikkei of Latin America and Latino Nikkei
平成時代の日本と定着した南米日系就労者たち
Alberto J. Matsumoto
2019年、この日本では「平成」が終わり「令和」という元号になった。31年にわたる平成時代は、南米から渡日した日系就労者の歴史とほぼ重る。1980年代後半のバブル期は、製造業界における深刻な人手不足問題を解決するため、政府は入管法を改正し南米からの日系二世や三世及びその配偶者が日本で制限なく働けるようにした。当時、多くの中南米諸国では経済が低迷し、失業率も貧困率もかなり高く、80年代のペルーではゲリラによるテロ活動が起きていた。私の出身国アルゼンチンでは年間5千パーセントというハイパーインフレが発生し、現地通貨ペソでの平均月給がドル換算で250ドル前後だったことを覚えている。そして、ブラジルやペルーの平均月給はもっと低かったのである1。
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ハワイの「GANNENMONO」と「日系レガシー」
Alberto J. Matsumoto
2018年6月、日本人の海外移住史にとって大きな行事がハワイのホノルルで開催された。それは、ハワイ日本人移民150周年を祝う「Gannenmono」式典であり、日本から秋篠宮同妃殿下がご臨席され、政府からは元自衛隊幹部の佐藤正久外務副大臣、JICAの北岡伸一理事長等が出席された。ハワイの代表者として、イゲ州知事、アリヨシ元州知事、アメミヤホノルル市長代理、アイリン・ヒラノ・イノウエ日米カウンシル会長(故ダン・イノウエ上院議員の妻)、マツダ元ハワイ大学総長などが参加された。私も初めてハワイを訪問し、この式典と同時に開催された海外日系人大会に参加した。
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日系次世代リーダーズフォーラムの意義と効果
Alberto J. Matsumoto
数年前から日本の外務省は中南米の次世代日系指導者を招へいしている。私は、外務省中南米局の依頼によって、6年前からこの事業に関わっている。タイトな日程の中、招へいされた日系人らは、各関係機関やときには内閣総理大臣とも面会する機会を得る。これは、将来日系コミュニティを率いるリーダとして日本との架け橋になってほしいと、日本政府が期待しているからである。私は、海外日系人とののネットワークをもっと強化し形にしたいという日本政府の思惑を常に感じてきた。
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メキシコ榎本殖民団に「海外移住の夢」を託した榎本武揚という人物 ― その2
Alberto J. Matsumoto
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メキシコ榎本殖民団に「海外移住の夢」を託した榎本武揚という人物 ― その1
Alberto J. Matsumoto
法改正によるアジア諸国の技能実習生がさらに増加〜日系就労者の新たな試練
Alberto J. Matsumoto
2019年4月から新しい入管法が実施される。これまでの「技能実習」という在留資格に加え、「特定技能」というビザが新たに設けることで、以後数年かけて37万人の外国人労働者を日本へ受け入れようと試みている。人手不足が深刻な業種や部門では、この特定技能というビザに関心がもたれている。このビザは滞在期間が現在の3年から5年へと延長され、一定の諸条件をクリアすれば6年目からは今は認めらていない家族の呼び寄せも可能になるからだ。日本と協定があるアジアの8カ国からの外国人のみが対象となっている。この法改正で最も注目されているのが、これまで原則禁止されていた単純労働でのビザ取得が事実上解禁されたことである。
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ラテンアメリカにおける日系人の政治活動 ― その2
Alberto J. Matsumoto
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The Nikkei of Latin America and Latino Nikkei
ラテンアメリカにおける日系人の政治活動 ― その1
Alberto J. Matsumoto
ラテンアメリカでは、以前は多くの国で独裁政権が誕生したが、ここ30年の間、政治不安を抱えながらも民主化が進んだ。しかし、選挙によって樹立した「民主的な政権」でも、野党の活動が制限され、政治家を監禁もしくは投獄している国はいくつもあり、未だに政治的暴力が行われている。そのせいか、日系社会では以前から日系人の政治活動に対して慎重論が強い。戦後の民族主義的、軍事政権の時代には、その傾向が強く政権側の要職は歓迎されても、野党もしくは反政府の政治活動はタブー視されていた。実際、私も高校生の時、大学で政治学を専攻したいと親へ話をした時、猛反対されたことを今も覚えている1。
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ローマ字表記の日本「食と店」
Alberto J. Matsumoto
世界では、日本食ブームが始まる前からある程度知られていた「sushi」、「tempura」、「yakisoba」、「yakitori)」等以外にも、「onigiri」、「dorayaki」という言葉もローマ字表記して見かけることが多くなった。 日本の食材やメニューで使われることはもちろんのこと、最近では親しみやすさやイメージ性を込めて店や会社名に使用されることもある。
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大学で出会った日系子弟
Alberto J. Matsumoto
南米からの「日系デカセギ労働者」は1980年代後半から来日し始め、1990年の入管法改正以降大量に入国するようになった。当初は単身でくることが多かった日系人たちも、次第に日本長期滞在を考えるようになり、家族を呼び寄せたり、日本で家庭を築くようになった。そのため、日本の学校に通う子弟も増え、2005年頃から外国人支援窓口では高校進学の相談が増えている。