第24回 「広島北米クラブ」に尽力
最期は日本で迎えたい
二度目のアメリカ滞在で、新日米新聞社の主幹として1961年に「米國日系人百年史」をまとめた加藤新一は、まもなく新日米新聞社を離れ、1970年日本に帰国する。ふりかえれば、1900年に広島で生まれ、18歳で父親に呼ぼ寄せられカリフォルニアに渡った加藤は、日米開戦直後に帰国、1953年に再渡米、そして1970年再び日本にもどってきた。日米二往復の人生である。
ひとり息子はロサンゼルスの東京銀行で働き、孫もアメリカ生まれのアメリカ人である。一方日本には甥がいるほか、そのほか近しい親族はいない。それがなぜ日本へ帰ったのか。甥の吉田順治さんによれば、「最期は日本で迎えたい」というのが、本音のようだ。
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