Discover Nikkei

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Japan in the World and the World


28 Jul 2010 - 19 Nov 2010

150 years have passed since the Kanrin Maru arrived in America, and since Japan's transition to modern society, many Japanese people have made their mark on the world. While inheriting Japanese heritage, they live in other countries and cultures. We follow the world of people who have ties to Japan beyond the framework of the nation, mainly in America, and consider what it means to be Japanese and what identity is.

- Japanese Gardens and Cosplay in Florida (3 parts)
- Florida and Amanohashidate (3 parts)
- Florida and Amanohashidate ~ Pioneers of the Yamato Colony and Tango Chirimen (3 parts)

*This series is reprinted from Renso Publishing 's web magazine "Kaze," which features information about new books, such as articles linking new books to current issues and daily topics, monthly bestsellers, and columns reviewing new books.



Stories from this series

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その3

Nov. 19, 2010 • Ryusuke Kawai

>>その2沖家と酒井家沖氏のおかげでいくつかの謎が解けたというか、コロニーがどういう歴史的な経緯で誕生したかが浮かび上がってきたが、さらに沖氏の姉である長屋光子さんからは、沖家やコロニーについてのエピソードを聞いた。長屋さんは、祖父である光三郎氏のことを覚えていて、「体が大きくて、厳しい人だった」と振り返る。また、祖母とは田舎(峰山町)の大きな門構えの家で小さいころ一緒に暮らしていたこともあったという。 この祖母というのが酒井襄氏の姉にあたるわけで、光三郎氏がアメリカで急…

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その2

Nov. 12, 2010 • Ryusuke Kawai

>>その1 謎が解け、コロニーの背景もこうして酒井氏と知り合ったことをきっかけとして、これ以後何人かの人たちに取材できたことで、酒井襄氏に関する謎が一気に解けていっただけでなく、ヤマトコロニーが誕生していく歴史的な背景が明らかになっていった。というのは、電話で連絡をとった隆子さんから教えてもらった沖守弘氏という写真家にまず出会ったからだった。 沖という名前がこのコロニーへのおもな入植者の一人であることはわかっていた。1961年に新日米新聞社から発行された「米国日系人百年史…

フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その1

Nov. 5, 2010 • Ryusuke Kawai

明治時代にアメリカの南東部にあるフロリダ州に農業移民としてわたった人たちの歴史と、その地が現在モリカミ・ミュージアムという立派な博物館と日本庭園 に姿を変えていることを、過去2回にわたって紹介してきた。(参照:「フロリダの日本庭園とコスプレ」、「フロリダと天橋立」) この移民たちの入植地はヤマトコロニーと名付けられ、コロニーに通じる道はこれにちなんでYamato Road(ヤマトロード)と名付けられた。フロリダという日本人にはなじみのない場所に、このユニークなコロニーがで…

フロリダと天橋立-その3

Sept. 21, 2010 • Ryusuke Kawai

その2>>100年後のフロリダと宮津をつないだ酒井襄とは?以上が、ヤマトコロニーと森上氏の歴史であるが、おさらいしてみればわかるように、最終的にこの「モリカミ」が誕生したその発端は、森上氏との直接の関係で言えば酒井襄氏である。記録によれば、彼は1874(明治7)年生まれで95年に同志社を出て、同志社の創始者である新島襄を見習ってアメリカへ渡ったという。名前の襄も、新島襄に倣ったらしい。50歳前にアメリカで亡くなっている。 「モリカミ」がまとめたヤマトコロニーの資料によれば…

フロリダと天橋立-その2

Sept. 14, 2010 • Ryusuke Kawai

その1 >>自分の名前をフロリダに残すために結局、耕作条件は悪くそのため農業としては目立った成果も上げられず、入植者は徐々に減っていった。真偽のほどは定かではないが、土地を所有した日本人のなかには1925年にマイアミビーチが開けて、フロリダの土地ブームがおきるなかで土地を高値で手放し、帰国したり他州へ移ったものもいたという。 そして、太平洋戦争が始まる頃には、コロニーに残っていたのはわずか数家族だけになった。また戦争によって42年には、コロニーの土地はアメリカ政府によって…

フロリダと天橋立-その1

Sept. 7, 2010 • Ryusuke Kawai

アメリカ南東部のフロリダ州に、日本文化を紹介するモリカミ・ミュージアムと日本庭園があることと、そこで春に行われた大きなフェスティバルの模様を前回紹介した。 日本とはあまり縁のないような場所にある「モリカミ」の名称は、森上助次という人物から由来する。いまから100年以上前にフロリダに農業移民として入植した日本人の一人である森上氏は、生前に所有する土地を地元のパームビーチ郡に寄贈し、それがもとでこのミュージアムと庭園ができあがった。また、これが縁で同郡内にあるデルレイ・ビーチ…

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Author in This Series

Journalist and non-fiction writer. Born in Kanagawa Prefecture. Graduated from the Faculty of Law at Keio University, he worked as a reporter for the Mainichi Shimbun before going independent. His books include "Yamato Colony: The Men Who Left Japan in Florida" (Shunpousha). He translated the monumental work of Japanese American literature, "No-No Boy" (Shunpousha). The English version of "Yamato Colony," won the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.

(Updated November 2021)