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東京にある、子ども文庫の会の青木祥子さんから、今から10年か20年前に日本の新聞に掲載された日系の方の手紙のことをお聞きしました。その方は、第二次世界大戦中アメリカの日系人強制収容所で過ごされたのですが、「収容所に本をもってきてくださった図書館員の方のことが忘れられない」とあったそうです。この手紙に背中を押されるように調べ始めた、収容所での子どもの生活と収容所のなかでの本とのかかわりをお届けします。
* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第133号~137号(2013年4月~2014年4月)からの転載です。
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外の空気、自由の味
ヨシコの父親と母親が、転住局の特別許可をもらって、ハートマウンテンにいる父親のお母さんと妹を訪ねたことがあります。かごの鳥のような生活は知らず知らずのうちに、身と心に澱のようなものをためさせます。ヨシコは二人が帰って来た時の様子に驚きました。
戦争が勃発して以来初めて自分の母と妹に会えたことは、はかり知れないほど父の元気を回復させた。だがそれにも増して、二人の生気をよみがえらせたのは、ほんのしばらくの間だけでも父と母が有刺鉄線の囲いの外で自由に生活できた旅そのものであったのである。父と母がかえってきた時、二人はすっかり様子が違っていた。母はとても美しく朗らかに見えたし、…
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収穫の手伝い———晩秋
実りの秋でもあります。農産物の収穫期ですが、カリフォルニア、アリゾナ、アイダホ、ワイオミングとどこの農園でも人手不足に悩んでいました。いままで収穫に携わっていた者は、兵役にとられたり、軍需景気にわいていた都市に出かけたりしていて、誰もいません。困った知事は、地元出身の上院議員や戦時転住局に「愛国者の義務として」日系人被収容者に刈り入れを手伝わせるようにかけあいます。囲いからでるチャンスですから、多くの高校生も応募し、ブリードさんの子ども達のルイーズも「学校新聞を作るための基金集めに」級友と綿摘みに出かけています。シアトルのウィルス先生に、…