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Sataye Shinoda


Professor at the Faculty of Humanities, Tokyo Kasei University. Graduated from the Graduate School of Japan Women's University. Specializes in Japanese-American history and literature. Major works: Co-edited and authored "Collection of Japanese American Literary Magazines," co-authored "Japanese Culture in North and South America" ​​(Jinbun Shoin, 2007), co-translated "Japanese-Americans and Globalization" (Jinbun Shoin, 2006), co-translated "Yuri Kochiyama Memoirs" (Sairyusha, 2010), and others.

(Updated February 2011)


Stories from This Author

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その5/5

Nov. 25, 2011 • Sataye Shinoda

その4>>4. 終刊までの経緯と『南加文藝』が果した役割創刊号は200部発行されたが、発行部数は次第に増えて第21号から25号までは倍の420部になった。藤田を中心にした熱心な合評会も毎号欠かさず開かれていた。 1981年、30号を記念して東京のれんが書房新社から『南加文芸選集』が出版された。発行部数は1,000部、この中には1965年から80年までに発表されたものの中の秀作が収められている。去った山城、野本もこの時にはすでに和解しており、二人の評論も含まれている。日本で発…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その4/5

Nov. 18, 2011 • Sataye Shinoda

その3>>水戸川光雄は、トゥーリレイクの『鉄柵』時代からキラリと光る短編を書いて、その才能の片鱗が見えたが、『南加文藝』でも藤田に劣らず多くの作品を発表している。彼は第2号から23篇の短編小説を載せている。「風と埃」(第9号)、「焦点のない日々」(第15、16号)、「曳かれ者の歌」(第22、23号)、「雪の朝」(第28,29号)「我らは貨物なり」(第34号)など圧倒的に強制収容所とその後の抑留所生活をテーマにしたものが多い。これらは収容所内で書いていたものの続きと言える一連…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その3/5

Nov. 11, 2011 • Sataye Shinoda

その2>>3.『南加文藝』の内容『南加文藝』の作品には三つの流れがある。第一は戦前から創作を続けてきた一世の作品である。これらの人びとにはまず加川文一が挙げられるが、その他、文一夫人の桐田しづ、外川明、矢尾嘉夫、萩尾芋作など短詩型文学の人が多い。 第二は創作の中心となった帰米二世グループである。加川文一は指導的立場にいたが、実質的なリーダーは藤田晃であった。彼は編集だけでなく、自らもエネルギッシュにたくさんの小説を書き、毎月の合評会で手厳しく作品を批評した。彼らの作品を文学…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その2/5

Nov. 4, 2011 • Sataye Shinoda

その1>>2.「十人会」から「南加文芸社」へ          胸ぬちにうづく思ひは言ふを得ず歌になし得ず涙流るる                         &n…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その1/5

Oct. 28, 2011 • Sataye Shinoda

『南加文藝』はアメリカでもっとも長続きした日本語による文芸同人誌である。第二次大戦中、ヒラリヴァー強制収容所の『若人』に始まった帰米二世の文芸活動は、トゥーリレイク隔離収容所の『怒濤』、『鉄柵』を経て、戦後はニューヨークで『NY文藝』およびロサンゼルスで『南加文藝』となった。『南加文藝』は『NY文藝』が終わったあとも続き、1986年の『南加文芸特別号』の出版で20年の歴史に幕を下ろした。『南加文藝』は戦争の中で芽ぶいた帰米二世文学が木となって咲かせた花ともいうべきものである…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その8/8

Aug. 19, 2011 • Sataye Shinoda

その7>>4.『ポストン文藝』の特色と果たした役割『ポストン文藝』の第一の特色は、特定の集団ではなく一般の収容者を対象とした総合雑誌であったこと。内容は文学のみならず、様々な娯楽的要素をもった読物や写真、芝居や日本舞踊公演に関する記事もあり、いわゆる「講談本」や演劇などのファン雑誌の要素も含まれていた。 第二の特色は呼び寄せを含む一世が発行の中心的役割を担ったこと。編集者及び寄稿者に帰米二世はいるが、その数は少ない。一世が創り出したものに帰米二世が参加するいう形をとっていた…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その7/8

Aug. 12, 2011 • Sataye Shinoda

その6>>『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスターは、日本舞踊家の藤間勘須磨(濱口須磨子)で、彼女に関する記事が『ポストン文藝』を賑わしている。彼女は1934年に日本へ行き、5代目藤間勘十郎のもとで名取りになった若い二世である。 日系社会には各流派の名取りがいて、それぞれ弟子を養成していた。生活が安定すると子女に日本舞踊を習わせて、日本的な立ち居振舞を身につけさせ、日本の古典…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その6/8

Aug. 5, 2011 • Sataye Shinoda

その5>>かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。 詩の分野では第一に外川明の名をあげることができる。彼は1903年、山梨県南都留郡に生まれた。父は妻と3歳の明をおいてアメリカへ渡り、16年間帰国しなかった。村の尋常小学校を卒業後、彼は養蚕、農業、道路修理の労働者、富士登山の強力(ごうりき)、行商人などあらゆる仕事をして母を助け、父の帰りを待った。1922年に父が帰国したとき、彼はすでに19歳の若者にな…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その5/8

July 29, 2011 • Sataye Shinoda

その4>>木内春波(貞勝)の「おもかげ」(45年7、8月号)は、初恋に破れて転落の人生を送った男が老人となって収容所の病院で死の床に横たわるとき、優しい看護婦に出あう。それはかつての恋人の娘だと分かるが、真実を明かさずに死んで行くという物語である。文章もしっかりしていて、物語の運びも手なれたものである。木内は当時40代、若い頃文学青年だったが仕事に追われてものを書く暇がなく、収容所でやっとその時間を与えられたという。「技師長」(44年10月号)は、変り者といわれた隣人の一世…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その4/8

July 22, 2011 • Sataye Shinoda

その3>>発行部数を完全に把握することはできないが、44年7月号が600部、1年後の45年7月号が1,000部という記録がある。多くの熱心な読者をもつ『鉄柵』でも発行部数は800部であったから、『ポストン文藝』の発行部数はかなり多い。制作費はWRAからの援助金のほか、所内のキャンティーン(売店)で20セント、外部へは送料を含めて25セントで販売された。「編集後記」には寄付金への謝辞が掲載されているので、熱心な支持者からの寄付もあったと思われる。 ポストンはトゥーリレイクとは…

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