「すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残っているのは畢竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」(『こころ』より)
日本の高校生で、現代国語の時間にこの作品を読んだひとは多いと思う。もちろん全部ではなく、上の一節を含む「先生の遺書」の部分だけだ。どんな文 学作品でも教材になってしまうと退屈なものになる。私など、ほとんど一学期間かけてだらだらと読み続けたような、明らかに誤った記憶があるばかりで、中身 はまったく印象に残らなかった。『こころ』をおもしろく感じたのは、ずいぶん後に江藤淳の評論を通してのことだ。
江藤淳によると、「エゴイズムと愛の不可能性という宿痾に悩む孤独な近代人として生きなければならなかった」漱石(先生)は、天皇崩御とそれに続く 乃木の殉死に遭遇して、「『明治の精神』が、彼の内部でまったく死に絶えてはなかった」ことを悟ったのだという。それを悟って作家は、「自分が伝統的倫理 の側にたつものであることを明示するために」『こころ』を書き始めたと。(江藤淳「明治の一知識人」より)
「明治の精神」というのは、実は私にはわかるようでわからない。国家と自己が同一化され、政治家だろうと文学者だろうと当然のように分け持たれてい る、自分たちの国づくりに何…