この話は僕がブラジルからカナダへ移住した際に、2008年のブラジル移民百周年を記念して、リオデジャネイロで殊の外お世話になった真木昌(まき・さかえ)先生の偉業を トロントの『大陸時報』に 書いたもので、再度こちらで紹介したいと思います。
戦後の打ちひしがれていた日本人に夢と希望をもたらしたのは「富士山の飛び魚」と称えられた古橋、橋爪、真木、浜口の日大水泳チームが樹立した八百メートルリレー世界新記録でした。1950年3月にブラジルに遠征した日大水泳部がブラジルの日系人に大歓迎を受けたのは言うまでもありません。
ブラジルが気に入った最年長の真木昌さんは、ブラジル水泳界の要請に応じブラジルに移住されました。サンパウロの名門スポーツクラブ「パウリスターノ」のヘッドコーチに就任し、その後、レシーフェのブリティッシュカントリークラブに破格の好待遇で迎えられました。
このクラブで真木さんは、水泳だけでなく柔道も指導され、その傍ら整骨にまでレパートリーを広げられました。それが図らずも真木さんが指圧師として大成功された生涯の仕事になったのでした。
クラブで真木さんの助手をされ、後に空手師範として大成された河村さんによれば、人格者の真木さんは口数が少なく、時と場合によっては誤解される事もあったそうです。無口で寡黙の日本人は、開けっぴろげで陽気な南米気質の社会では疎外感に陥…