Susumu Ishihara

株式会社移民情報機構代表取締役。同社が発行する多文化情報誌イミグランツ編集長。1974年に毎日新聞入社。大阪本社社会部記者。政治部記者、論説委員など歴任。2007年3月、論説副委員長で退職。和歌山放送顧問、国際移住機関(IOM)メディアコンサルタントなども務める。

(2009年10月 更新)

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Kizuna: Nikkei Stories from the 2011 Japan Earthquake & Tsunami

在日ブラジル人に感謝の言葉を贈りたい

「日本人として心より感謝の言葉を贈りたい」。この人にひとこと言葉をかけるとしたら、私はこう言うだろう。 神奈川県藤沢市で解体工事などを請け負う会社を経営する茂木真二・ノルベルトさん。3・11東日本大震災の被災地の惨状を伝える報道にいてもたっていられず、6月末までに計5回、日系ブラジル人の仲間と現地入りした。重機を駆使してのガレキの除去、そしてブラジルの肉料理シュラスコなどの炊き出し……。茂木さんは日系ブラジル人を「デカセギ」でなく「生活者」として見てほしいと言うが、被災者にとって日系人は、すでに「よりよき隣人」だ。 茂木さんのボランティア活動は地方紙の報道で知っていたが、6月30日、東京都新宿区の上智大学で開かれた講演会「在日ブラジル人と東日本大震災―被災地支援の取り組み」でご本人の話を直接聞いた。 法務省入管局の調べによると、被災地の日系ブラジル人は、岩手県97人、宮城県147人、福島県262人の計506人。上智大外国語学部助教のアナ・エリーザ・ヤマグチさんが冒頭、全国各地の日系ブラジル人による被災者支援の様々な取り組みを紹介したが、ボランティアとして現地入りした日系ブラジル人の延べ人数の方が被災地の定住者より多いかもしれない。 茂木さんは1989年に初来日し、日本の生活がほぼ20年になる日系ブラジル人。サンパウロ大学電子工学科卒というか…

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ハリウッドで30年以上活躍してきたメイクアップ・アーティスト  -カオリ・ナラ・ターナーさん- その2

>>その1夫の指導で始めたメイク・アップ・アーティストの仕事がしだいに楽しくなった。順調に仕事をこなし、メイクアップ・アーティストスとしてのキャリアを積んでユニオンに正式加入したのは45歳の時。1980年代に人気を集めた映画「フラッシュダンス」でそのメイクアップの技術が注目を集め、2003年にはテレビドラマ「エイリアス」で日本人初のエミー賞を受賞した。そして、20年以上にわたるメイクアップ・アーティストとしての仕事を通じて著書にあるような華麗な「人の輪」も培った。 まさに海を渡った一人の女性の成功物語だが、どうして彼女が輝ける人生を切り開くことができたのか。もちろん自身が人一倍の努力をしたことは間違いない。夫をはじめ周りの人に助けられたこともあっただろう。しかし、ハリウッドという、まさに多文化・異文化の社会を生きぬく術を身につけたことも大きかったのではないか。 カオリさんは、子どもの頃に母からこういわれたことを忘れない。「自分がしてほしいと思うことを、人にもしてあげなさい」。そんなカオリさんだから、ちょっとした気配りが自然体でできるのだ。 メイクアップの仕事のかたわら、ブルース・ウィルスには昼食に鰹節ご飯をふるまって喜ばれた。ショーン・コネリーには日本から足のつぼを押す突起がついた靴下を取り寄せて贈った。ロバート・レッドフォードには背中を足でプッシュするアジア式マッサージで…

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ハリウッドで30年以上活躍してきたメイクアップ・アーティスト  -カオリ・ナラ・ターナーさん- その1

日本の映画やテレビの世界でメイクアップ・アーティストといっても、まだまだなじみが薄いが、ハリウッドでは立派な芸術家。メイクアップ・アーティストとして映画の殿堂で活躍し、数多くのスターたちと交流してきたカオリ・ナラ・ターナーさん。その前向きな姿勢は、多文化・異文化社会を生きるヒントを与えてくれるのではないだろうか。 メイクが取り持つハリウッドスターとの交流 映画ファンなら誰でも、彼女の話を聞けば身を乗り出すに違いない。華やかな映画の殿堂・ハリウッド。彼女の口からは世界的な有名な大スターとのエピソードが次々と飛び出す。それも、スクリーンの中のヒーロー、ヒロインというだけでなく、彼女の友人としての素顔が……。 カオリ・ナラ・ターナーさん。ハリウッドで30年以上も活躍してきた日系人のメイクアップ・アーティスト。いや、いまなお活躍するメイクアップ・アーティストである。 役柄に応じて俳優にメイクアップを施すのが仕事。いってみれば映画の世界の裏方さんだ。だが、同時にアーティストでもある。米国では、映画という文化・芸術を陰で支える芸術家として高く評価しているのだ。 取材で会うは初めてだったが、実は2007年7月にロサンゼルスでお目にかかっている。カオリさんを含め5人の日系人の日本の叙勲の受賞を祝うパーティーにたまたま招待され、簡単な挨拶をした。5人の受賞…

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日本ペルー新時代へ - カプニャイ駐日ペルー大使にきく

昨年は日本人のブラジル移民100年の年で様々なイベントが繰り広げられたが、今年はペルー移民から110年、そしてペルー人の日本への移住から20年の記念の年を迎えている。しかし、在日ペルー人は経済危機をきっかけに仕事を失うなど厳しい現実に直面している。ファン・C・カプニャイ駐日ペルー大使はそうした困難を乗り越え、今年を「両国の新しい時代の始まり」にしたいと言う。大使に日本とペルーの関係や在日ペルー人の状況などについて聞いた。(聞き手は多文化情報誌イミグランツ編集長・石原 進) ――地球の反対側にあるペルーは距離的に遠い。しかし、親密な関係が100年以上続いている。まずは両国関係から語っていただけますか。 大使 ペルーは日本と国交を結んだラテンアメリカで最初の国です。いまから136年前の1873年のことです。その関係は非常に深く、南米で日本の移民を最も早く受け入れたのもペルーです。110年前から始まった日本からの移民が、ダイナミックな交流の歴史の始まりです。日本の学者や研究者がペルーにおいて文化や歴史を研究して昨年でちょうど50年になりました。ペルーの考古学的な歴史遺産の多くは日本の学者・研究者によって発掘されています。その歴史遺産が今年7月に日本に運ばれ、2年をかけて日本全国で巡回展を行います。インカ帝国のルーツといわれる黄金の都シカンの特別展です。 ――日本とペルーはいま…

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