Laura Honda-Hasegawa
Born in São Paulo, Brazil in 1947. Worked in the field of education until 2009. Since then, she has dedicated herself exclusively to literature, writing essays, short stories and novels, all from a Nikkei point of view.
She grew up listening to Japanese children's stories told by her mother. As a teenager, she read the monthly issue of Shojo Kurabu, a youth magazine for girls imported from Japan. She watched almost all of Ozu's films, developing a great admiration for Japanese culture all her life.
Updated May 2023
community
ja pt
デカセギ・ストーリー
- By Laura Honda-Hasegawa
- 21 Mar 2013
真司とリンダは子どものころの友だちだ。と言っても、同じ学校に通ったこともなく、同じ公園で遊んだこともなかった。
真司は6歳のとき、お父さんの仕事の関係でブラジルに住むようになった。
お母さんは元ピアニストだったので、すぐにピアノ教室を開いた。生徒は日本企業の駐在員の子どもたちだった。
真司はアメリカンスクールに通っていた。その上、習い事もたくさんしていた。英語、バイオリン、チェスの教室などだ。
ある日曜日、お母さんはピアノのコンサートへ、お父さんはゴルフ場へ行くので、真司はどっちについていくか選ぶように言われた。「パパといっしょに行きたい」と、真司は、はっきり言ったので、ふたりともびっくりした。
ゴルフ場の帰り、車は広々とした原っぱの横を走っていた。すると、「わあっ!」と言って、真司は車を止めるようにお父さんに頼んだ。
「こんな所で止まるなんて危険だ」とお父さんが言おうとすると、真司は夢中になって、窓に鼻を擦り寄せて、景色に見とれていた。
少し先に車を止め、お父さんも空を見上げると、いろいろな形のカラフルな凧でいっぱいだった。原っぱも子どもでいっぱい。どの凧がいちばん高く揚がるか、はしゃいで飛び回る子、大声でエールを送る子。みんながひとつになっていた。
親子は別世界にいるように目を輝かせ、立っていたら、日系人の女の子がピンクと白い凧を舞い揚げながら近づいて来て、「Quer exp…
Read more
community
ja pt
デカセギ・ストーリー
- By Laura Honda-Hasegawa
- 8 Feb 2013
私は日系二世の70歳のおばちゃんです。昔からカーニバルにはあまり興味がありませんでした。カーニバルとはブラジル人にとって、年に一度の楽しみだとしか思っておらず、「ブラジル人ではない」と認識している私には関心がなかったからです。しかし、当時から日系人会では「バイレ・デ・カルナバル」というカーニバルのダンスパーティーが開かれ、日系の若者たちも楽しむようになっていました。私も友だちと一緒に行ったことがありましたが、特別な思いはありませんでした。
24歳で結婚した私は4人の子どもに恵まれました。長女は学校の先生になって公立中学校に勤めていましたが、給料が少ない上に、学校がスラム街の側だったので、勤務するのがだんだん危険になり、辞めてしまいました。ちょうどその頃、日系人の間に、デカセギブームがあり、すぐ日本に働きに行くことになりました。それを知った高校生だった次女は「私も行く!」と言い張りました。
私は美容師の仕事をしていましたので、次女をとても頼りにしていました。就職1年目の長男には朝食をしっかり食べさせたかったし、末っ子の息子は育ち盛りの中学生だったので、カリン(次女の名前)に食事の世話を任せていました。私はとても悩みました。と、言うのも、その1年ほど前に、大工の仕事をしていた夫が脳出血で倒れ、リハビリをしていました。もし、カリンを日本に行かせるとしたら、私は美容師の仕事を減らさざるを…
Read more
community
ja pt
デカセギ・ストーリー
- By Laura Honda-Hasegawa
- 24 Jan 2013
日本生まれのケンジンニョは両親が別れた後、母親と一緒にブラジルへ渡った。
日本に残った父親は1年半後、約束どおり、息子を迎えに行ったが、意外なことが起きていた。元の妻のヌビアは再婚してリオに住んでいて、息子のケンジンニョは、父方の祖母、つまり自分の母親の家で暮らしていた。驚きだった。
しかし、空港に出迎えに来ていた息子を見てマサオはほっとした。ケンジンニョはニコニコ、おばあちゃんの側から離れなかった。「イラセマばあちゃんのとこからなんで出たの」「イラセマばあちゃんはとてもやさしいし、好きだ。でも、こっちのばあちゃんはもっと好きだ。大好きだ。だって、日本人だもん」と。祖母をぎゅっと抱きしめるケンジンニョはいとおしかった。
マサオは、息子と一緒に暮らすのが念願だったが「これでよかった」と思った。本当は息子に心から感謝していた。自分が日本へデカセギに行くことになって、年老いた母親のことが気がかりだった。しかし、たくましいケンジンニョが側にいるならば大丈夫だと、安心して日本へ戻った。
18年が経ち、ケンジンニョは立派な大人になっていた。高校を卒業し、銀行に勤めながら夜学で会計学を学んだ。現在はある企業の経理部に勤めている。
最愛の祖母が7ヶ月前に亡くなり、ケンジンニョは独りぼっちになった。葬式に間に合わなかった父親はブラジルに3日居て日本に戻った。親子はゆっくりと話す時間も作れなかったの…
Read more
community
ja pt
デカセギ・ストーリー
- By Laura Honda-Hasegawa
- 24 Dec 2012
第六話(前編)を読む>> 何と言ってもナタール(クリスマス)はデカセギにとって特別な祝日だ。無関心な人は誰もいない。みな、その日が来るのを心待ちにしている。家族や友人と集り、その時だけは多忙な生活をしばし忘れ, 懐かしいブラジルの思い出話に花を咲かせる。
しかし、問題は日本でのクリスマスが祝日でないことだ。仕事を休めない人は前日にお祝いをするしかない。それでも、クリスマスを祝うのがデカセギの一番の楽しみだ。
クリスマスイブに大勢の人がパストール・マコトの家を訪ねる。地域に住み着いた頃から、クリスチャンであってもなくても、日系人が挨拶しに訪れている。牧師先生のメッセージを聴くのも目的のひとつだ。
そして、今年もいつものようにテーブルにはブラジル人が好きなパネトネとブリガデイロやキンジンなどのお菓子、パーティには付き物のコシーニャやエンパジーニャやボリーニョ・デ・バカリャウがやまほどに並んでいた。全て、知恵さんと近所の奥さんたちの手作りだった。
パストールの家はとても居心地がいいのでみなの集る場になっていた。その上、先生は話が上手なうえに、一人一人の話にじっくりと耳を傾け、受け入れてくれるので、みなの心を捉えている。デカセギは何よりも話がしたい、心の底にたまっていることを吐き出したい、聴いてもらいたい。仕事中は絶対できないことなので、絶好の機会だった。
トシアキとアンジェラ夫婦は…
Read more
community
ja pt
デカセギ・ストーリー
- By Laura Honda-Hasegawa
- 21 Nov 2012
早朝、大きなバスケットを両手でかかえた若い女性が街を歩いていた。
公園のベンチに座り、ひと休みする。空を見上げると、濃い灰色の雲がどんどん横に流れ、自分も一緒にどこかへ連れて行かれるような気がした。下を見ると、枯葉が敷き詰められたカーペットのようで、今の自分の道しるべに見えた。「きっと、正しい方向に導かれているのだ」と、立ち上がり、バスケットを大事そうにかかえ、公園を出て行った。
すると、さらに、空は曇って今にも雨が降りそうになってきた。強い冷たい風も吹いてきたので、女性は先を急いだ。バスケットの中を気づかうように、歩き続けた。雨が猛烈に降ってきて、たちまちびしょ濡れになった。バスケットにも水しぶきがかかっていた。
まだ人気のない通りを歩いていたが、ある家の前で急に女性は立ち止まった。通りに面した塀はたくさんの花で飾られていた。淡いピンクや黄色や白いかれんな花を見ているうちに、女性は少し落ち着いてきた。
しかし、思いがけない行動を取る。その家の玄関に向かい、そっとバスケットをドアの前に置いた。そして、何かぶつぶつ呟きながら、何度も後を振り向きながら去って行った。
毎朝6時には必ず起きているパストール・マコトは、この日は特別に忙しかった。テレビのニュースを聞きながら、朝食の用意をして、電話にも応対していた。
ブラジルにいた頃とは違って、牧師のほかに市役所の仕事にも関わっていた。ブラ…
Read more