Keiko Fukuda

Keiko Fukuda was born in Oita, Japan. After graduating from International Christian University, she worked for a publishing company. Fukuda moved to the United States in 1992 where she became the chief editor of a Japanese community magazine. In 2003, Fukuda started working as a freelance writer. She currently writes articles for both Japanese and U.S. magazines with a focus on interviews. Fukuda is the co-author of Nihon ni umarete (“Born in Japan”) published by Hankyu Communications. Website: https://angeleno.net 

Updated July 2020

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アメリカの日本語媒体

1984年発行『日刊サン』—LAのコアな読者に支持される新聞

ドジャース野茂旋風が転機に

私がロサンゼルスで暮らし始めた1992年当時、日本語新聞『日刊サン』は有料だった。その後、無料紙になったこと、さらにトルネード旋風を巻き起こした、ロサンゼルス・ドジャースの野茂選手の登場で、まだインターネットから情報を取ることが一般的ではなかった90年代半ばに、一気に同紙が身近な存在になったように記憶している。野茂選手がいかに『日刊サン』の救世主だったかを熱く語ってくれたのは、創業者の牧野泰さんから2012年に事業を譲り受けた現発行人の冨山敏正さんだ。

「1984年、ロサンゼルス・オリンピックの年に創刊した『日刊サン』は、10年間、25セントで販売されていました。私が入社した94年に無料化されたのですが、それまでずっと赤字続きだったこともあり、無料化でうまくいかなければ年末で廃刊する予定だったのです。ところが、その年、サッカーのワールドカップがロサンゼルスで開催されたことでスポーツのニュースが注目され、さらに95年にドジャースに野茂さんの入団でその流れに勢いが付きました。当時は日本人の選手がメジャーリーグでやっていけるわけがないと思われていたのですが、その見方を大幅に覆すほど野茂さんは大活躍したのです。また、1ドル80円台と円高も手伝って、日本から野茂さん目当ての観光客が大挙してロサンゼルスにやって来ました。『日刊サン』の編集部の電話は、野茂さんの登板についての問い合わせの電話が鳴りっぱなしという状態でした」。

野茂選手のニュースに注目する読者が激増し、同紙は同選手の活躍とともに知名度を上げていったのだと冨山さんは振り返る。その後も、スポーツを中心にエンターテインメント、コミュニティーの話題を届ける日本語新聞として同紙は発行を継続した。「飲食関連の求人は『日刊サン』に出稿するのが確実だ」とは私もよく耳にするほど、同紙はコアな読者の支持を得ていた。そして、同紙にとっての次の転機が訪れたのは新型コロナのパンデミックの渦中、2020年のことだった。

「それまではロサンゼルス・エンジェルスの大谷選手の活躍もあり、スポーツをメインに取り上げていました。しかし、20年の3月の(ロックダウンの)時点で、スポーツ中心でいくことが難しくなったため、スポーツ紙から脱却し、新型コロナの情報をはじめ、アメリカの現状を伝えるコンテンツに変更しました。さらに同年11月には、それまで週5日発行していたものを、毎週日曜に発行する週刊にサイクルも変えました。これにより、1号あたりの発行部数を2倍にし、現在は4万部になっています」。

週刊に変えたのはどのような戦略によるものなのか、それによって読者にとっても発行側にとっても良い影響は生まれたのかを冨山さんに聞いた。「毎日、『日刊サン』を手に取って読みたいという、多数のコアな読者に支えられていたことは事実です。しかし、発行頻度を抑えることで1号あたりの部数を2倍に増やすことができました。それにより、読者も増え、広告の効果がぐんと上がったことは実感しています。さらに発行側としては、これまで週5日、新聞を出すために毎日追いまくられ、余裕がありませんでした。週刊化を決行したことで、心にも時間にも余裕が生まれたことが大きな利点です」。

ロサンゼルスオリンピックまで発行を続けたい

紙媒体としての今後について聞くと冨山さんは次のように答えた。「当地に住んでいる日本人が果たしてロサンゼルス・タイムズをしっかり読むかと言うと、そこまで読み込める人は少ないと思います。ですから日本語でアメリカの現地情報を入手することが必要な人にとって、『日刊サン』を絶やすことはできないのだという使命感を感じています。また、ネットの時代になったとは言っても、電子版をネットで配信する一方で、やはり手に取って記事を読みたいという読者がいる限り、新聞の発行を続けたいと思っています」。

冨山さん本人はその計画を知らなかったものの、年内廃刊の可能性があった94年に入社。その後、野茂旋風を受けて生き残った『日刊サン』の経営を引き継ぎ10年、パンデミックの渦中は週刊化にシフトした冨山さんの社会人としてのスタートは、実は観光業界だった。「81年に日本でホテルマンとして就職しました。その後、旅行会社に転職し、アメリカに駐在、ヒューストンやサンフランシスコでも働きました」。スポーツ観戦が趣味だった冨山さんは、「会社で新聞を読んでも怒られないだろう(笑)」と、『日刊サン』に転職した。

「創刊したのが前回のロサンゼルス・オリンピックの年でした。ですから、ロサンゼルスで次にオリンピックが開催される28年まで何としてでも、新聞の発行を続けていきたいと思っています。これまでを振り返ると、『野茂サマサマ』であったと同時に、ロサンゼルスに住む老若男女の読者には感謝しかありません」。28年、同紙は創刊44年を迎える計算になる。まずは同紙の28年までの悔いない完走を、一読者として願うばかりだ。

 

*『日刊サン』公式サイト

 

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第7回 1903年創刊『羅府新報』- ロサンゼルスの有料日系紙

英語と日本語の両輪 

1903年に創刊された『羅府新報』は今も週に4日、有料紙として発行されている(パンデミック中は週に3日発行)。フリーペーパーなどなかった時代からロサンゼルスの日系社会のために地元のニュース、日本のニュース、そして生活情報を届けてきた同紙には、筆者も渡米直後からお世話になってきた。車がないとどこにも行けないこの土地で、ロサンゼルス生活が長い知り合いから「クラシファイドで車を探せるよ」と羅府新報を渡された。そして、中古車ディーラーの広告を見て、公衆電話から問い合わせを入れたことを今も覚えている。携帯などなかった29年前の話だ。そして、私はその真っ赤なマツダの中古車を無事に購入することができた。

現在の羅府新報は10ページ、郵送による購読者は約8000人、電子版の購読者は約3000人。2020年から日本語部編集長を務める、同社勤続21年の永田潤さんに、同紙の歴史を説明してもらった。「羅府新報を1903年に創刊したのは、日本からUSC(南カリフォルニア大学)に留学していた3人の学生でした。日本のメディアがゼロという時代、日本語の情報を日本人のコミュニティーに届けるために創刊されたのです。当時は1世の時代でしたから、紙面は全て日本語でした。その後、2世が成長するとともに、1926年、英語部ができました。現在はすでに5世の時代ですが、英語と日本語のセクションの両輪で続けています」。

日本語セクションの1面は配信記事、2面は独自取材によるコミュニティーのページだ。パンデミック前は、イベントの取材に来てほしいとの要請が絶えず、永田さんと他の2名の記者で取材に回っていた。取材要請が来るということはそれだけ人々に読まれているという証拠だが、「もっとコミュニティーに必要だと感じてもらえるように、独自取材によるオリジナリティーを強くしていかなければなりません」と永田さんは話す。

そして、オリジナリティーを打ち出すための一案は、日系人社会の実情や取り組みを日本語にして伝えることだと言う。「ロサンゼルスの日系社会は、日系人社会と日本語を話す社会に分かれています。日本語を話す邦人社会の団体は親睦団体である一方、日系人たちは全米日系人博物館、日米文化会館といった、経営面でもしっかりした組織を作り、プロフェッショナルなスタッフを雇って運営しています。このような日系人の取り組みを、日本語に翻訳して日本語を母語とする読者に伝えていく使命を実感しています。もっと日系人から、私たち日本人が学べることは多いし、彼らの社会のことを知ってほしいと思うのです」。

また、日本語セクションの課題は購読者の減少にいかに歯止めをかけ、増加に転じさせるかということだ。「新聞そのものを購読するには郵送費がかかるために割高になりますし、購読者の手元に新聞が届くのが発行の翌日になり、時間もかかります。しかし、オンラインだと即時に読んでいただけるし、郵送費も不要なので月の購読料は50ドルです」。

オンライン化促進に活路

電子版の購読者を増やし、新聞の購読者をはるか超えるところまで持っていければ未来は明るい。さらに、電子版以外に、オンライン独自のコンテンツを充実させるプロジェクトにも着手している。

「7月中旬にはウェブサイトのデザインを刷新しました。今後は、サイト独自のコンテンツを充実させていきます。オリジナルストーリーを掲載して、それを売りにしてサイト上の広告をより多く取っていければ、という狙いです」。

さて、2000年に羅府新報に入社した永田さんに、渡米理由と入社の経緯を聞くと次のように振り返ってくれた。「もともとアメリカへの憧れがあって、日本の大学を卒業した後に英語学校に留学しに来ました。1年ちょっと過ごして、日本に帰ろうかなと思っていたんですが、コミュニティーカレッジへのトランスファーという道があることを知り、経営学を専攻して卒業。OPT(オプショナルトレーニング)のビザが出たので、アメリカでも経験を積みたいと日系企業への就職活動をしてみたのですが、なかなか縁がなかったんです。そこで好きな写真を羅府新報主催のフォトコンテストに応募したところ、入選したので(羅府新報に)賞品をもらいに行ったのです。そうしたら、そこで僕が仕事を探しているというのを聞いた会社に採用され、最初は英語部の紙面のネガを作ることから始めました。その後、デジタル化で仕事がなくなったので、今度は日本語部に異動になり、記者に転身しました。会社が専門職ビザ、永住権とスポンサーしてくれて今に至ります」。

ロサンゼルスで歴史ある日系新聞で働くやりがいを聞いた。「日本語で記事を届けているので、日本人社会に喜ばれているという実感を得られることですね。多くの人々との出会いもこの仕事で生まれました。それが財産です。また、羅府新報で初めて仕事として文章を書いたわけですが、人に届ける文章に責任を持つことが重要だと認識しています。真実だけを伝えることが使命であり、最近言われるフェイクニュースは許されません。ニュースメディアとしての責任感は、前の編集長の長島さんや石原さんたちの姿勢から学ばせていただきました。そして、自分のために働くのではなくて、あくまで情報を届ける読者のために働くのがこの仕事なんだと思います」。

今後は電子版の読者をより多く獲得し、「羅府新報」という伝統のブランドを残してほしいと筆者も心から願っている。

 

『羅府新報』公式サイト:https://rafu.com/ja

 

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第6回 1990 年創刊『いろは』- ダラス日系社会密着型の月刊新聞

地元日系組織との連携

ダラスで発行されている無料の日本語新聞『いろは』の名前を聞くことは度々あった。しかし、カリフォルニア在住の筆者にとっては、どのような媒体なのか、中身を知る機会がなかった。その理由は同紙が地元の日系社会密着型であり、地域外に向けて情報を発信していないからだということが、発行人の上田誠さんの話から分かった。2021年8月現在、電子版の発行はしていない。

『いろは』が創刊されたのは1990年。今から30年以上前のことだ。ダラスの鉄板料理レストランのシェフとして渡米した上田さんは、その後、キャリアを変えてカメラの修理の仕事に携わった。そのような異業種からなぜメディア発行人に転身したのか、その経緯が興味深い。

「ダラスに日系の食料品店があって、そこのオーナーが常連の顧客に宣伝目的で郵送していたダイレクトメールに記事をプラスして、ニュースレターを作成してくれないかと頼まれたのが最初です。送られたものが広告だけでは見てもらえないからというのがその理由でした。やったことないからできないと断ったのですが、あくまでも『いや、できるはずだ』と言われて、そこまで言われたので『じゃあ』と引き受けることにしました。レターサイズで8ページ。日本語のワープロを日本から友達に送ってもらって、それで原稿を入力して切り貼りして作成していました。最初から今と同じ月刊でした。当初は食料品店のオーナーが広告主を紹介してくれていましたが、そのうちに自分でも広告を取るようになって、2、3カ月で収支がトントンになりました。そして2年後にはカメラの修理の仕事を辞めて、『いろは』の専業になりました。その背景にはカメラの修理が以前のようにお金にならなくなったことがあります。次々に手頃な新しいモデルが出てくるので、わざわざ修理に出す人が減ってしまったんですね」

こうして、未経験だったメディアの仕事に本格的に携わるようになった上田さんは、ダラス日本人会や日米協会、さらには日本人補習校との関係性を強化しながら、地元社会のニュースを取り上げ続けた。現在のコンテンツは、地元社会のニュースを中心にダラス在住者による多数のエッセーからクラシファイド、日米のニュースまでカバーし、読み応えがある。発行部数5000部、サイズはタブロイドで16ページだ。

「ダラスの日本人社会の規模から考えると、競合紙が生まれても共存できる市場ではないことから結局、うちの新聞だけが生き残りました。今までに5、6紙は創刊されたと思いますが、そのタイミングに合わせてうちの新聞の紙の質を良くしたり、カラーにしたりして対策を立てました。トヨタがダラス近郊のプレイノに移転したのは2017年くらいですが、残念ながら日本人社会の規模はそれほど大きくはなっていません」。

トヨタ移転とともにテキサスの日本人の人口が急増したようなイメージがあるが、上田さんによると、必ずしもそうではないということだ。だからこそ、前述のような以前からある地元の日系組織との連携が、同紙の基盤作りの大きな要因になったのだと上田さんは強調する。

営業、取材、会計まで1人

「ダラスの補習校のイベントの写真撮影は30年以上任されています。最初は自分の子どもも補習校に通っていました。そこで、入学式や卒業式といったイベントが開催されるたびにお声がかかって、私が出かけて行き、撮影しました。それからダラスの補習校とヒューストンの補習校で毎年、ソフトボールの試合を恒例で行うんですが、その撮影もずっと担当しています。このように、ダラスでは地元の日系社会密着型でないと生き残っていけません。ダラスの日米協会や日本人会のイベントも取材に行きます。読者からしたら、そのイベントに行くことができなかったけれどどんな様子だったか知りたい人が多いはずです。一方で、イベント参加者で紙面に載った自分の顔を見たいという人もいます」。

こうして、上田さんはフットワーク軽く取材に出かけるのだと話してくれた。さて、スタッフは何人なのだろうか?そんな筆者の質問に上田さんはさらりと「私一人です。一時期、事務的なことを知り合いにお願いしたことはありましたが、基本的に営業、企画、取材、撮影、執筆、デリバリー、会計まで一人でやっています。会計は嫁さんに手伝ってもらいますが(笑)」と答えた。

営業に関しては、上田さん独自の信念があるようだ。「広告の効果がないだろうなというところには、広告を出したいと言われても断ることがあります。日本人のお客さんが欲しいからと言ってきますが、『日本人にあなたの店はアピールしません』とはっきり言います」。

このように自らの信念を貫きながら、たった一人で30年以上、ダラスの日本人社会に支持される媒体を発行してきた上田さんに今後の予定を聞いた。

「新しいことを始める予定はあるか?いやあ、もう引退させてくださいよ(笑)。でも、この仕事のやりがいは今も、読者が新聞を見てどこかに行ったとか、誰かとつながったと聞くたびに実感します。発行が遅れると電話をかけてくる読者もいます。でも、そういう声が聞きたいからやっているのかと言うと、そうではなくて、人にどう思われようと自分が好きだからやっているんです。新聞発行人のポリシーとしては、個人攻撃や誰かの害になるような情報は絶対に載せないということです。私は文章を習ったわけではないし、誤字脱字もあるかもしれないけれど、それでも読みたい人がいることに感謝しています」。

上田さんの飾ることがない正直な姿勢が、『いろは』が長らくダラスの日系社会で信頼を勝ち得ている理由に違いないと確信してオンライン取材を終えた。

 

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第5回 1992年創刊『U.S. FrontLine』 - 全米をカバーする情報誌

広大なエリア、幅広い層の読者

これまで紹介してきた日本語媒体は、ロサンゼルス、シアトル、ニューヨーク、サンフランシスコのいずれか、または複数の特定の地域にフォーカスしていたが、今回紹介する日本語の無料誌『U.S.FrontLine』は、日本人コミュニティーが存在する全米の多くの地域に配布されている。

「カリフォルニアのロサンゼルス、サンフランシスコ周辺、ニューヨークの3地域での配布数が最も多く、それ以外にもジョージア州アトランタ、イリノイ州シカゴ、オハイオ、さらに数年前にカリフォルニアからトヨタが本社を移転させたテキサスなど、全米各地の日系企業が多いエリアに配布しています。読者は基本的に日本からの駐在員ですが、その枠にとどまらず、ビジネス情報、教育、法律、健康、旅行、エンターテインメントまでをカバーしているので、アメリカ在住の日本人読者の幅広い層に読まれています」と説明してくれたのは、同誌編集長の齋藤春菜さん。

同誌がユニークなのは全米をカバーする媒体という点だけでなく、裏表紙からは中国語の別の雑誌が始まる、2種類の雑誌が合体している点だ。その中国語の雑誌『J-goods』は、在米中国人向けに日本の商品や文化を紹介するもの。数年前からの『J-goods』との合体によって、全米の中国系マーケットにも『U.S. FrontLine』は配布されることになった。

私の記憶では、『U.S. FrontLine』の本社はかつてニューヨークにあった。その時は現在のレターサイズより大判で、かなり長い間、週刊誌として発行されていた。その後、同誌はIT企業の傘下に入り、本社をロサンゼルスに移転、現在は隔月刊誌となり、毎号32ページから40ページのボリューム。雑誌自体の発行が2カ月に1回、また誌面が限られていることもあり、雑誌に収まりきらない情報や最新のニュースや告知などは頻繁に更新されるウェブサイトに掲載されている。

雑誌のコンテンツは、毎号数ページのテーマを絞った特集記事、他にエッセー、教育、英会話といったアメリカ生活に関する連載コラムだ。読者に人気があるのはどのような記事だろうか。「雑誌から人気記事がどれかを知るのは難しいのですが、オンラインの記事での閲覧数から見ると、教育関係の記事への関心度が高いようです。他にも、移民法や雇用ルールに関する記事など日系企業にとって重要な情報は多くの方に見ていただいています」。

紙媒体のメリットとは? 

特定の地域にフォーカスしていない全米版の媒体であることから、「今、アメリカで何が起こっているのか」というテーマを取り上げることが鍵になると齋藤さんは話す。「特集企画は、営業を含む雑誌に関わっている3、4名で話し合って決めています。常にオリジナルで新しい情報を読者に届けるように心がけています。世の中の動きや注目度の高いテーマは何かをよく見て、たとえすでに知られているような情報であっても違う角度から切り込むことで面白いと思ってもらえるように、飽きられないように工夫しています」。

また、親会社がIT企業であり、IT、メディア以外に人材紹介、会計アウトソーシングの事業も行っていることから、「今後は弊社の他事業部のスタッフが持っている専門知識も、誌面に応用していきたいと考えています」とのことだ。

前述のように『U.S. FrontLine』の場合、雑誌だけでなくより豊富で最新な情報が掲載されているウェブ版も運営しているが、全てをウェブにする計画はないのか齋藤さんに聞くと、次のように答えた。「雑誌は“これ(特定の記事)を見たい”と思った読者に手に取ってもらえるものです。毎号読んでいただいている読者は雑誌をピックアップすることが習慣になっているので、確実にその情報を届けることができます。一方で、オンラインの世界では、人々は自分が欲しい情報を検索して不特定のウェブサイトにたどり着くので、必ずしも『U.S. FrontLine』のサイトに来てくれるとは限りません。ウェブだけに絞ってしまうと読者を限定してしまうことにもなってしまいます。時代の流れとしてはウェブに完全移行するという考え方もありですが、そのためにはデメリットを克服できるような運用方法を精査する必要があると考えています」。

さて、斎藤さん自身もまた、同誌の読者と同様に「アメリカで生活する日本人」の一人だ。「アメリカで働きたいと思って、今の仕事に応募して、2017年6月に入社しました。もともと日本の出版社で雑誌の編集をしていました。日本では8名くらいの編集スタッフで雑誌を作っていたのですが、現在は、雑誌もウェブ版も編集作業は基本的に私一人で行っているので、以前より責任重大です」。

編集者としては、常に四方にアンテナを張り巡らせている。「広告のクライアントである日系企業の方にお目にかかる機会も多いので、その際には日系企業にとって何が関心事なのか、何が周囲で起こっているのかについてお話を伺うようにしています。あとは、アメリカのニュースはもちろんですが、日本のニュースもオンラインで追いながら、最新のトレンドに遅れないように努めています」。

全米をカバーする日本語の無料情報誌は『U.S. FrontLine』を置いて他にない、唯一無二の存在だ。これまでに形状や発行頻度含めて、何度か「変身」しながら発行されてきた同誌の今後を、ウェブ版との共存や棲み分けも含めて見守っていきたい。

『U.S. FrontLine』公式サイト:https://usfl.com

 

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第4回 1999年創刊『週刊ベイスポ』— ベイエリアで愛される週刊紙

SFの無料媒体の先駆け

最近、フェイスブック内のコミュニティー、「在米日本人」を覗くことが多い。そのコミュニティー内でよく見かける投稿が、「●●エリアに引っ越します。現地のお勧めの日本語情報誌を教えてください」というもの。南カリフォルニア在住の筆者にとって、それがロサンゼルスの話ならすぐに私からもお勧めの媒体を書き込めるのだが、同じカリフォルニアでもベイエリアの日本語媒体事情には正直疎い。そこで、一方的に傍観者的に見ているわけだが、ベイエリアのお勧め日本語メディアとして現地在住者から挙げられるのが『週刊ベイスポ』だ。発行人の小野里晃さんに話を聞いた。

「『週刊ベイスポ』は1999年に創刊しました。サンフランシスコやシリコンバレーを含むベイエリアに毎週2万部発行しています。読者は全方位の老若男女です。この地域には日本人が5万人から6万人在住していると言われています」。

創刊のきっかけは、「野茂英雄の試合を見るためにロサンゼルスに通っていた時に目にした『日刊サン』」だと小野里さんは振り返る。『日刊サン』と言えば、ロサンゼルスで発行されているスポーツとエンターテインメントを中心にカバーする日本語新聞だ。「1995年当時、ロサンゼルスに来るたびにあの新聞を読むのをとても楽しみにしていたのです。サンフランシスコにもこんな新聞が欲しいとずっと思っていました。そこで、私自身が発行人となり、日刊ではなく週刊にして、スポーツと芸能、ローカルのトピックを掲載する週刊紙として誕生させました」。

それまで、ベイエリアは有料媒体の天下だった。「ロサンゼルスには『ライトハウス』や『ブリッジUSA』、そして『日刊サン』のような無料紙がありましたが、サンフランシスコで読まれていたのは『朝日新聞』、『北米毎日』、『日米時事』といった有料のものばかりでした。今まで生き残ることができた秘訣?日本のスポーツと芸能の情報に関しては日本のスポーツ新聞社と提携して入手、また時事ネタは通信社から購入しました。こうすることで日本の最新情報を掲載しながら、(人件費などの)コストを下げることができたことが大きかったと思います。日本の情報を読みたいという読者のニーズにもマッチし、さらに先ほど申し上げたように、他に日本語の無料紙がなかったこともうまく受け入れてもらえた要因だと思います」。

その後、インターネットで日本のスポーツと芸能情報を入手できるようになると、『週刊ベイスポ』もコンテンツに変化が見られるようになった。より地元の生活情報に紙面が割かれるようになったのだ。「現在ではレストラン情報はもちろん、クラシファイドに至るまで生活情報全般をカバーしています。今、読者からよく読まれているのは、商業開発や犯罪に関することなど、ローカルのトピックです。肩に力を入れずに、ベイエリアで今何が起こっているのかを気軽に日本語で読んでもらえるという点に需要があるんじゃないかと分析しています」。

情報が集まってくる 

2021年現在は「ベイエリアに『週刊ベイスポ』あり」と定着した人気を保持しているが、ここに来るまでの苦労談を聞こうとすると、小野里さんは次のように答えた。「苦労したのは、創刊当初の半年間です。無料なのにピックアップしてもらえない、ピックアップしてもらえないから広告を集めるのも難しいという悪循環に陥っていました。しかし、手に取ってもらえるようになると、あとはもう読者の方にとっては(ピックアップが)習慣となり、ずっと今に至ります。ただ、パンデミックの間はやはり大変でしたね。広告の出稿主の事業が大変な状況で、広告どころの騒ぎではなくなりました。そこでうちのスタッフがクライアントのところに出向いて何かお手伝いできることがないか、と関係性を維持することに努めました」。

大変な時も出し続けることが大切なのだと小野里さんは言う。「長くやっているので、自然とうちに(ベイエリアの日系社会の)情報が集まってくるのです。また、シリコンバレーはグーグルやアップルの本社があり、非常にビジネスが活発なエリアです。日本からの人がどんどん当地に移住してきます。コロナまでは、日本人人口が増え続けていました」。

さらに、小野里さんの会社では出版社として、年一度、ベイエリアの生活情報をまとめたムック『eじゃん』も発行している。今後のビジョンを聞くと、「オンライン化に本腰を入れていきます。紙面の情報を電子版としてサイトで見られるだけでなく、ウェブサイト独自のコンテンツも拡充していく予定です」と、エリア外の読者にとっても楽しみな計画を話してくれた。

小野里さんは最後に、創刊しようとしていた22年前のエピソードに触れた。「野茂の試合をロサンゼルスに見に行っていた時に、リトルトーキョーの一人しゃぶしゃぶの店がお気に入りだったんです。それで、『週刊ベイスポ』の創刊準備で日本のスポーツ新聞社と話を詰めていた時、なかなかいい返事がもらえなかったので、新聞発行は諦めて、サンフランシスコでしゃぶしゃぶの店を開けようかと方向転換しようとしていました。そんな矢先、スポーツ新聞社が返事をしてきてくれたために、しゃぶしゃぶ屋の方はやめました。あの時、もし、しゃぶしゃぶの方に進んでいればビジネスとしてはもっと儲かっていたかもしれないですね(笑)。でも、やっぱりメディアで良かったと思っています。色々な人と出会える楽しい仕事だし、何より現地の日本のコミュニティーから求められているという実感が得られますから」。「小野里さんがしゃぶしゃぶビジネスに進まなくて良かった」、そう思っているのは本人以上にベイエリアの読者たちに違いない。

公式サイト『週刊ベイスポ

 

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