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日系(ニッケイ)—をめぐって

第22回 戦争、そして海を渡った日本女性 ー 『花嫁のアメリカ[完全版]』を読む

戦争花嫁の戦後

1945年の敗戦後、占領軍として多くのアメリカの軍人、軍属が日本に駐留した。若い彼らと日本人女性とが恋愛関係に陥るのは、当然の成り行きだった。彼らと結婚しアメリカに渡った女性たちは「War Bride」、日本語にすると「戦争花嫁」と呼ばれた。

戦時中は「鬼畜米英」と唾棄していた国の男性と結婚するこうした日本人女性に対する世間の視線や、親の反応が一般的にどんなものだったかは、容易に想像がつく。それでも彼女たちは結婚し、海を渡り、その他多くの日本人女性が戦後の復興期から高度経済成長期に日本国内で送った人生とは、まったく異なる道を歩んできた。

もちろんその道は百人百様だが、「戦争」を挟んだ時代という共通項をもつ彼女たちならではの生き方が確かにある。約4万5000人といわれている彼女たちにスポットをあてて、その姿と言葉を写真と文章で紹介したのが、写真家、江成常夫氏である。1936年神奈川県相模原市に生まれた江成氏は、毎日新聞社をへてフリーの写真家となり、アメリカで戦争花嫁の取材をてがける。

『花嫁のアメリカ[完全版]』(論創社、2022年)

その成果として、『花嫁のアメリカ』(朝日新聞社アサヒカメラ増刊号)を1980年に発表、その後、講談社から単行本(1981年)、文庫(1984年)として出版した。さらに当初の取材から20年後にふたたびかつて取材した人たちを追い、『花嫁のアメリカ 歳月の風景1978-1998』(集英社)を2000年に出版。

そして昨年、『花嫁のアメリカ』と『花嫁のアメリカ 歳月の風景1978-1998』の2作をあわせた新たな編集による『花嫁のアメリカ[完全版]』が論創社(東京千代田区)から出版された。


100人余の花嫁を訪ねる

江成氏が、戦争花嫁に興味をもったきっかけは、1975年9月、オクラホマに住む、妻方の親戚にあたるヨシコ・ブーンさんを訪ね、その半生を知ったからだった。

「敗戦まで、鬼畜米英の教育を植え付けられながら、負けて間もなく、家族の担い手として、米軍のもとで働かなければ生きられなかった時代の不条理。その過程で米軍士官と結ばれたが故に投げかけられた、周囲の日本人の揶揄偏見——そうしたヨシコさんへの認識が、花嫁たちへの関心をかきたてた要因でもあった」と、江成氏はいう。

ロサンゼルスから20分ほどのガーデナシティーの簡素なアパートを拠点として、ひとりフリーランスの江成氏は、人間関係を頼りに“花嫁たち”を探し、カリフォルニア全土で100人余りを訪ね歩いた。しかし必ずしも取材に応じてもらえるとは限らないし、応じても最初から心を開いてくれることはない。

その壁を少しずつ超えながらだったのだろう、江成氏は花嫁たちから半生を聞きとり、また、彼女たちの家族の肖像を写真におさめた。言葉では表現できないものを写真にし、一方、写真では表わせないものを彼女たちの生の言葉のまま文章にしたこの手法を、「フォトノンフィクション」と、江成氏は呼ぶ。

「ナインティーン・サーリー(1930年)に、○○で生まれました」というように、彼女たちの言葉を、そのまま写している文章だけをみても、人生を垣間見るような思いがする。その内容は、きわめて個人的なヒストリーなのだが、同時に、戦争を挟んだ日本と日本人の生々しい歴史の一側面でもある。

本名で登場する人ばかりではない。奄美大島で生まれたE・Aさんは、終戦翌年アーミーのMPとの子どもを出産した時、目が覚めると医者から「ああ、あれはどうせヤンキーの子だろ、そんなものいらん」と言われる。「敗戦の混乱期でしたから、訴える方法もなくて、訳もわからず始末されたんです」。(E・Aさん)

結婚後、次に生まれた長男を連れて、マーケットに行くと、通りすがりのおばさんが子どもを見て「ああ、また弾よけが生まれたな」と言う。なにかというと、「戦争がまたはじまったら、この子のような〈あいの子〉を戦地に出して弾よけにすんのよ——よく覚えておきな」って……」(E・Aさん)。許しがたい言動だが、それほど日本人の心も荒廃していた証なのだろう。

戦後生まれのN・Pさんは、掃海艇の乗組員の黒人男性と結婚して渡米。あるとき地元の日系の一世とのミーティングに出席したとき、一世のおばあさんから「可愛いい顔してんのに、かわいそうに、黒ちゃんのワイフなんかになって……」と、言われショックを受ける。

もちろん、ひどい経験ばかりではない。日本人男性にはない優しさや、夫の両親が力になってくれた話などもある。しかし、全体を通して見えるのは、言葉の壁をはじめ、夫婦関係、生活苦など、異国の地で降りかかる困難と、それを乗り越えていこうとする意地にも似た力である。


時代、生き方、運命 

私が『花嫁のアメリカ』(文庫)をはじめて読んだのは、1980年代だった。当時は日系人や移民のことに特に興味はなかったが、引き込まれるように頁を繰ったのを覚えている。いま、読み直してみると、花嫁の言葉に「時代」と「個人の生き方」、そして「運命」の交錯を感じる。

まず、なにより戦争にかき回された時代だ。花嫁たちは、戦中、戦後に青春期を送っている。家族や家・財産を戦争で失ったり、軍需工場へ動員されたり、疎開したり……。戦争で青春を犠牲にした世代である。一方、伴侶となるアメリカ人男性もまた戦争に深く関わる。第二次大戦は終るが、その後彼らを待っていたのは朝鮮戦争であり、ベトナム戦争である。

花嫁のなかにはベトナム戦争で夫を失った女性もいる。日本で戦争の辛苦を散々味わった彼女たちに、夫が軍人・軍属であるかぎり戦争の影はついてまわった。配属・任務に伴って転勤も何度となく続く。家族離れ離れの生活が、夫婦関係に影響を及ぼすこともあり、夫のアルコール依存も軍人であることと関係するのかもしれない。

こうした戦争の時代に基盤を揺さぶられながらも、必死で家族のため、子供ため、そして自分のために生きる逞しさがある、いや、逞しくならざるを得なかったのだろう。自分で決めたことの結果でもあるからだ。

深い考えがあったわけではない。戦争の息苦しさから解放され、豊かさに憧れ、見せかけかもしれない優しさに飢えていたからかもしれない。親の反対を押し切って、世間の目を気にせず、あとになって思えば大きな決断をしてしまったという後悔もあった。

だが、それでも彼女たちが踏みとどまったのは「自分で決めたこと」という諦めまじりの自負があったからではないのか。その諦めとは、どうあがいても時代や環境に流されざるをえなかったという意味での「運命」ともいえる。

江成氏の再度の取材では、最初の取材から20年後の彼女たちの足跡をたどっている。すでに鬼籍に入った人や、消息がわからない人もいる。ひとり残された夫の姿もみられる。一方で、かつての子どもや孫が成長し、新たなファミリーをつくっていることを読者は知る。苦労して育てた末に開いた花のようだ。

戦後移民の一世ともいえる戦争花嫁の人生は、こうした新しい世代にはファミリーヒストリーとなっていくのであろうが、日本にとっては、戦後史の一面を形作る物語になっている。

 

© 2023 Ryusuke Kawai

Hanayome no amerika war brides

About this series

日系ってなんだろう。日系にかかわる人物、歴史、書物、映画、音楽など「日系」をめぐるさまざまな話題を、「No-No Boy」の翻訳を手がけたノンフィクションライターの川井龍介が自らの日系とのかかわりを中心にとりあげる。