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Nikkei Chronicles #9—More Than a Game: Nikkei Sports

少年野球チーム「バンクーバー新朝日」の彦根遠征観戦記

3月23日の彦根勤労福祉会館での新朝日歓迎会

2019年3月20日午後4時、私はJR彦根駅前のホテルコンフォートの前のベンチに座り、横浜から来るバスを待っていた。定刻通リに2台のバスが到着し、少年野球チーム「バンクーバー新朝日」チームの元気な若者とその両親たちがにこやかな笑顔と共に元気そうに降りて来た。ジョン・ウォン(John Wong)さん、トミオ・フクムラ(Tomio Fukumura)さん他遠征チームの役員の皆様と挨拶&握手で出迎えた。

「Welcome to Hikone! お疲れ様です」 

これより新朝日一行55名は、約一週間彦根に滞在し、滋賀県のチームと親善試合や観光親善活動を行うのである。

1914年のバンクーバー朝日の結成以来100年を迎えた2014年に新朝日チームは結成された。翌年2015年には早くも日本遠征を成し、以後2年ごとに遠征を行い、今回は3度目の来日であった。

今回の遠征の主要な目的は、バンクーバー朝日の発祥のルーツである滋賀県彦根を訪れてその歴史を学ぶ事と、彦根の野球チームと親善試合を行う事であった。

1896年琵琶湖周辺の大水害を契機に、彦根から多くの人が新天地カナダに向かって渡航した。その多くは製材所に勤務し、バンクーバーのパウエル街付近に住んだ。幼くして父親に連れられた子供たちやカナダで生まれた2世達は、成長し学校に行くようになると、この頃米国から伝わって来た野球に熱中し、卒業しても同じように集まり野球を楽しだ。そして少年達の兄貴分格にあたる宮崎伊八や田邊団蔵、岸本大蔵等の彦根出身者が指導し、野球チームを組織した。バンクーバー朝日の結成である。初代監督は彦根出身の宮崎伊八、スコアラーには福永金三郎が就いた。当然のことながら支援者や選手も彦根出身者が多かった。

1918年、筆者の祖父である松宮外次郎(彦根出身)がバンクーバー朝日の団長に就くと、名称を朝日体育倶楽部に改め、有望選手を他チームから入れ選手を強化し、白人チームとリーグ戦を行うべく1918年7月にインターナショナル・リーグを結成した。この年、朝日体育倶楽部は準優勝だったが、翌1919年には11勝1敗という圧倒的な成績で優勝を果たした。その時から数え丁度100年目に当たる記念の2019年、新朝日チームが彦根にやって来たのである。

私は新朝日一行を受け入れるためプロジェクト・チームを作り、宿泊ホテルや野球場の手配、親善試合の準備、活動資金の捻出などを行った。何度も打ち合わせをし、少しでも快適に彦根での遠征が成功するようおもてなしの準備を整えた。

到着した翌朝、私はホテルに新朝日一行を迎えに行った。一行と共に先ずは彦根市長に表敬訪問を行い、その後彦根中央中学で生徒との交流会に臨んだ。生徒からのプレゼンテーションが有り、その後、スーパーカロムゲームが開催されると一気に会場の皆が和んだ。昼食のカレーパーティーではあちこちで会話が弾み有意義な交流会になった。

3月21日、彦根市立中央中学での交流会

午後は場所を移し、彦根リトルシニアチームと試合を行った。試合に先立ち全選手がグラウンドに整列しセレモニーが行われた。その後、体をほぐすため柔軟体操に移ったが、新朝日の選手は戸惑い気味であった。国により指導の方法が違うのは誠に興味深い。

新朝日チームは彦根に来る前、バンクーバー市の姉妹都市である横浜市を訪れ、2試合行った。横浜南リトル戦 20-0、横浜泉リトル戦7-3でいずれも新朝日の快勝だった。

いよいよ試合開始である。1回、2回両軍ともヒットは出たが無得点。3回表彦根リトルは強打が炸裂し一挙4点を得る。その裏新朝日は1点返すが以後は取りつ取られつ、結局7対2で彦根リトルの勝利となり、新朝日は今回の日本遠征初めて敗戦となった。

翌日はで単彦根球場独練習をした後、彦根城の見学し彦根の歴史を学んだ。

彦根球場にて

次いで、3月23、24日は長浜市浅井球場にて滋賀県のリトルシニアチームと親善試合を行った。結果は下記の通りであった。

  3月23日 第一試合 甲賀リトルシニア 11 対 新朝日 6
         第二試合 守山リトルシニア 14 対 新朝日 1

  3月24日 第一試合 草津リトルシニア 10 対   新朝日 1
         第二試合 新朝日 5 対 湖東リトルシニア 6

今回、新朝日チームは彦根では勝利する事は出来なかったが、選手達は勝敗以外の多くのものを学んだ。日本の野球とカナダのベースボールの違いはあるが、スポーツマンシップや礼節、野球の楽しみ、言葉の違いを超えハートで通じる若者達の交流など収穫は多かったと信じている。尚、この浅井球場での4試合には新朝日チームのサポートとして彦根リトルシニアが支援に回り、選手達との結びつきが更に増した事も付け加えたい。

3月23日19時、彦根勤労福祉会館で新朝日の歓迎会を開催した。出席者は新朝日一行、彦根リトルシニアチームはもちろんの事、彦根市長、朝日関連者、地元有志、総勢120余名で館内は満席であった。この歓迎会にあわせ多数の方から祝辞を頂き、新聞取材のほかEZテレビも入った。

猪亦功憲遠征総監督は挨拶で今回の遠征の意義と取り組みを述べ、新朝日のキャプテン、ブレイク(Blake)君は新朝日の選手を一人ずつ紹介した。彦根リトルシニアからは突然のサプライズが有った。彦根リトルシニアの選手全員立ち上がり、着用していたTシャツを脱ぎ、新朝日の選手に手渡したのである。この粋な計らいに会場は拍手の渦となり、ユニフォームをもらった新朝日の選手は大喜びであった。

そしてもう一つ奇遇な一件が発表された。実は新朝日の強打者ワイリー・ウォーターズ(Wylie Waters)君のご先祖は、オリジナル朝日に在籍していた土居健一選手であった。更に彦根リトルの北川大賀君のご先祖はやはりオリジナル朝日に在籍していた児玉末吉選手であった。何と3月21日の試合でオリジナル朝日と現在の2チームが100年越しに繋がっていたのである。試合中、北川大賀君が放った打球を一塁手 ワイリー君がアウトにするシーンも見られた。

3月21日、新朝日と彦根リトルシニア親善野球。北川大賀君(55番)とワイリー・ウォーターズ君(12番)

時間が経過し最後に全員で『Take Me Out to the Ball Game(私を野球につれてって)』を合唱し、記念撮影をして散会の運びとなった。ご出席いただいた皆様ありがとうございました。感謝いたします。

その後、新朝日一行は3月25日に甲子園で選抜野球大会を観戦し、家族で思い思いに日本観光をし、帰国しました。

今回の新朝日の彦根地区への遠征は大成功であったと感じております。次回の遠征予定は2021年ですが、コロナ禍の影響で既に延期がきまっており残念な気持ちでいっぱいですが、再会を願って筆を置きます。

3月23日の彦根勤労福祉会館での新朝日歓迎会。バンクーバー朝日関連者。前列左より:中島あゆ美(初代エース捕手、堀居由太郎選手のひ孫)、北川喜代美(初代エース投手 北川初次郎選手の姪 )、筆者(1918~1919年朝日団長、松宮外次郎の孫);後列左より:中島有希子(初代エース捕手、堀居由太郎選手の孫)、中西輝夫(1933年朝日胴上げ投手、中西憲選手の甥)、近藤正良(初代朝日軍選手近藤與左衛門選手の孫)、嶋洋文(初代朝日軍選手嶋正一選手の甥)、北川大賀(朝日軍初代選手児玉末吉の甥)、熊中和子(日本体育倶楽部、初代団長児玉基治氏の子孫)ワイリー・ウォーターズ(1926年朝日選手土居健一の子孫)、児玉千代子(朝日軍初代選手児玉末吉の姪)、藤岡俊彦(了教寺住職、ブログ「海を渡った近江門徒発信」、カナダ移民研究者)、デレク・ウォーターズ(1926年朝日選手土居健一選手の子孫)、児玉定雄(朝日軍初代選手児玉末吉の姪の配偶者)、吉村祐子(日本体育倶楽部初代団長児玉基治氏の子孫)、和泉真澄(同志社大学教授、日本移民学会理事)

* * * * *

《彦根中央中学との交流会についてBBC(琵琶湖放送)が放映》

 
《勤労福祉会館での親睦会についてZTV(彦根放送局)が放映》

 

© 2020 Satoshi Matsumiya

31 Stars

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About this series

What makes Nikkei sports more than just a game for you? Perhaps you’d like to write about your Nikkei sports hero or the impact of Japanese athletes on your Nikkei identity. Did your parents meet through a Nikkei basketball or bowling league? Are you intrigued by an important chapter of Nikkei sports history, like the prewar Issei and Nisei baseball teams?

For the ninth edition of Nikkei Chronicles, Discover Nikkei solicited stories related to Nikkei sports from June to October of 2020. Voting closed on November 30, 2020. We received 31 stories (19 English; 6 Japanese; 7 Spanish; and 1 Portuguese), with a few submitted in multiple languages. We asked an editorial committee to pick their favorites and our Nima-kai community to vote for their favorite stories. Here are the selected favorite stories. 

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