南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。前年アメリカの市民権を得てなにか一つふっ切れたのか、1968年は、自然に親しみ落ち着いた生活をしていると報告する。その一方で、人生は夢の連続、夢なき人生は無意味と豪語し、数年来打ち込んでいる自分が思い描く農園づくりに励んで必死になっている様子を示している。
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〈宮津の新聞送って〉
1968年1月×日
明ちゃん(姪)、気分は如何だ。宮津へ行った際、市役所か、商業会議所(商工会議所)でいま、宮津で新聞があるか聞いて貰いたい。何年経っても故郷は恋しいもんだ。以前には北近畿(新聞)という、とてもいいのがあって読むのが何より楽しみであった。
廃刊後は故郷の便りは絶えてしまった。もしあったら日刊なら1週間分くらいまとめ、週間なら毎号ごと、普通便でいい。
航空便は送料が高い。来るまで1ヵ月以上かかる。小包は極く丈夫に包まないと来るまでにバラバラになる。
こちらは別に変りはない。只休んで居るせいか、足の具合が少しいい様だ。風邪を引かぬ様、御用心。
〈世の中は変わり自己本位の時代〉
1968年3月21日
玲子さん(姪)、先日は久し振りでお手紙頂き、ありがとうございました。今度、私の帰化について、お心からの祝辞を賜り感謝の外ありません。
玲子さん 世の中は変わりました。自己本位の時代となりました。如何ほど、世話になっても年に一度の年賀状さへ送ってくる人もいません。それに対して、この国(アメリカ)には長い間世話になりました。出来るだけの事をしておきたいと思います。私は今、郊外の畑で猫三匹と住んで居ります。
忙しいので、別に寂しくありませんが、困るのは絶えず起きる持病で、節々が痛み時には歩行も出来ず、手も動かない。幸い親切な友達が近くにあって大助かりです。言いたい事は山ほどありますが、人は人、過去の事は一切忘れる事にしました。さようなら。アンクル
〈今は田舎に引き込んで心静かに〉
1968年5月10日
美さん(義妹)、お手紙、先日うけ取りました。悪性のフルーに罹り返事がおそくなりました。玲子が渡米希望との事ですが、私はお勧め出来かねます。旅行としての渡米は容易ですが、6ヵ月以上滞在できず、労働は何に拘わらず禁じられております。この国も変わりまして、天国ではありません。その上、私自身も変わり、うるさい事がなにより嫌い。今は田舎に引き込んで心静かに自然に親しんでおります。
一人住まいのさびしさも、ときにはないではないが、気兼ねひとついらず至極気楽な日々を送っております。私は歳のせいか、気短になり、怒りっぽくなりました。
〈海ばかり見ているから山が恋しい〉
1968年8月×日
美さん、お気分は如何か。休んで居ても京都の夏は暑苦しい事と思います。私はほぼ全快、少しづつ運動がてら畑へ出かけます。昨日はサンデー。送って頂いた宮津新聞等、読んで過ごしました。誰も訪れず一日中一言もいいませんでした。猫でもいると話相手になるんですが。しかしレディオもあれば、TVもあるので別に寂しくありません。
日本の風俗の紊乱はこの国以上です。特に青少年の性問題は如何、取り扱っていくのか。この年頃の子供の親達はよほど注意しないと、取り返しのつかぬ事が起こります。厳しすぎていかず、気ままにさせてはなおいかず。性教育をしっかりとする外なかろうと思います。
海に遠いところに住む人達は、海が何よりあってくれと願いますが、私のようにいつも海を眺めて暮らす者には山が何より恋しいです。昨日は風が余りなくて暑い日でした。暑さに馴れた者では百度(約38度)以上はこたえます。
今朝は畑へ出かけてトメトー、ペッパー エッグプラント(茄子)等の種子を蒔く予定です。是は皆売り物の苗床なのです。
ではお大切に。何事も思う様にならぬのが人生です。過去を追わず現在を生きましょう。
〈帰化したからか、便りが来ない〉
1968年10月14日
美さん、お手紙ありがとう。こちらは別に変りはありません。帰化した為に、もう用のない者と思われるのか、日本からは殆ど便りがなくなりました。全くの天涯孤独ですが、幸い親切な友人達が来るので、寂しくもありません。
この夏は雨が多くて困りました。先日友人から晩餐に招かれ、不計らずも二人の若い日本人(男女)に逢いました。両人とも英語は達者、風采も立派。一年程見学の為、当地に在留との事です。
昨夜、他の友人のバースデーパーティーに招かれ、フライドチキンを御馳走になりました。この夏は台風は一度も来ず天気は曇りがちで涼しい方でした。先日ワシントンの友人から日本食品を送って来ました。ほとんど見た事も味わったこともような珍しい物でした。
ワシントンには日本物はなんでもあるんですね。天高く馬肥える候、喰い過ぎぬようご用心。さようなら
〈久しぶりに日本の柿を味わう〉
1968年10月21日
美さん、お手紙、落手。私は相変わらずです。こちらもずっと涼しくなったので大助かりです。台風の惨事はひどかった。フロリダも数回襲われましたが、当地は幸い無事でした。
誰とて生まれ故郷を思わぬ者はない。私は只暇がないのです。いま、60年前の夢が実現の途にあり、之が完成するまで何事も省みることが出来ないのです。実の処、いま、私は死もの狂いなのです。馬鹿なと人は笑う・・・誰も私の気持ちは解からない。人生は夢です。夢の連続です。夢無き人生は全く無意味です。
私は今なお、20年先の事を夢見て努力しているのです。私はあと数日で81(歳)になります。親友の夫婦が祝ってくれるようです。
如何したことか、私は近頃、余り読書と親しまぬようになりました。日本雑誌も日本字新聞も全部とるのを止めて、読むのは地方新聞と数種の農業雑誌です。日本からの手紙はほとんどあんたからと○○さんから時々便りがあるだけです。
今日、久し振りに日本の柿を味わいました。友人が作ったので、日本のよりは少し小型ですが、味は申し分ありません。
別に書く事もないのでこれで筆を止めます。いまだに人差し指が痛み、思うように字が書けません。さようなら。
〈目出度くもあり目出度くもなし〉
1968年11月17日
美さん、明ちゃん、バースディーの賀状ありがとう。正直なところ、一休さんの正月の歌ではないが、目出度くもあり目出度くもなしだ。人間が永遠に生きたらどんなに幸福だろうか。来世を信じない私は時には、愚にもつかぬ事を考える。
友人から晩餐に招かれ、好きなシュリンプやビーフステーキを御馳走になった。昨今、急に涼しくなり、夜などはブランケットが欲しい。北からの避寒客も急に増え、市中もハイウエーも雑踏を極めて居る。
こちらも日本同様、相変わらずの好景気だが、肝心の現金が不足し、利子は上がる一方、中々借金も出来ぬ。今年は気候が不順で夏中雨が降った為か、2月に咲く桃の花が今、満開だが、何時どんな変化がないともいえぬ。今日は朝から気分悪く下腹が痛んで何も出来んで、終日寝て過ごした。
(敬称略)