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過去の「敬老」と現在の「KEIRO」を巡る思い

人々が出会う場所

ロサンゼルス周辺の日本人や日系人で、敬老のことを知らない人はいないだろう。1960年代、故フレッド和田さんを中心とする8人の日系社会のリーダーによって、ロサンゼルスのダウンタウンを見下ろす高台に敬老引退者ホームが開設された。日本語のサービスや日本食が充実しているとあって、日本人や日系人が引退した後は安心の老後を過ごせると大変な人気を誇っていた。入居するには何年も待たなければならないほどで、知り合いの中には「入居の順番が少しでも前になるように、毎年、寄付金を敬老に贈っている」という日本人夫婦もいた。

私自身は1992年以降、度々、敬老の施設を取材で訪れた。敬老が運営する施設は、ダウンタウンに近いボイルハイツにある引退者ホームを中心に、同じ敷地内の中間看護施設、少し離れたリンカーンハイツと日系人が多いガーデナ市の看護施設と4カ所があった。コンドミニアムのような造りの引退者ホームには広大なカフェテリアがあり、日本からの歌手が公演でロサンゼルスを訪れると、かなりの高い確率で敬老にも慰問に訪れ、そのカフェテリアで入居者を前に歌を披露したものだ。訪れていたのは、プロの歌手だけではない。日本語幼稚園の園児たちがお遊戯を披露したり、駐在員の夫人が日本の歌をコーラスで聴かせたりする機会も多かった。

さらに、定期的に入居者のためにお稽古事を指導する講師や、敬老内のコーヒーショップでサーブするボランティアも友人の中にいた。彼らは日本から来た新一世だった。

入居者たちは日系アメリカ人や日本から来てアメリカで引退を迎えた新一世が中心、訪れる人たちは新一世、ここで生まれた二世の子どもたち、駐在、そして短期でロサンゼルスを訪れる日本のエンターテイナーと、まさに敬老は日本にルーツを持つ人々が一堂に顔を合わせる場所だった。配偶者が日系人、子供が日系のスポーツリーグのメンバーでもない限り、私たち新一世は日系人と親しく触れ合う機会に意外と恵まれないものだ。だから、私は敬老の施設を訪れると、自分がロサンゼルスの日系人社会に仲間入りできたような気がした。


入居者に歴史あり

2006年、敬老の看護施設での親川八重さん。親川さんは2017年2月に98歳で逝去  

当然のことだが、敬老に住む一人ひとりにそれぞれの歴史があった。10年以上前、私はリンカーンハイツの看護施設で親川八重さんと出会った。彼女は第二次大戦下、アメリカに強制連行された日系ペルー人。アメリカで収容所生活を余儀なくされ、その後、ペルーに戻る道は閉ざされてしまい、ロサンゼルスに残ってここで生まれたお嬢さんを育てたそうだ。取材には市内に住む、日本語を話さないお嬢さんのリンさんが同席した。彼女は日本語で行われた取材を黙って聞いていた。数日後の夜、リンさんから電話がかかってきた。「母はこれまで戦時中と戦後の苦労を一切口にしなかった。でも、あなたが母の話を聞いてくれて、彼女は本当に喜んでいた。これまでの苦労に区切りがついたと話していた」と、感謝の言葉を伝えてくれた。その時、私はこんなに喜んでもらえるなら、自分が引退した後は敬老に足を運んで、自分の歴史を家族に残したい入居者のためにボランティアで聞き取り取材と執筆をしたいと、強く思ったほどだ。

日系社会や日系人について興味を示さない日本からの新一世は多い。それが互いの間に壁を作ってしまう要因でもある。しかし、相手の事を深く知れば、その壁はなくなると私は信じている。これは日本人対韓国人、日本人対中国人の構図でも同様だ。個人を知ること、相手を知ることが重要。そういう意味でも日系人と新一世との出会いの場を提供してくれていたのが敬老だったと私は思う。


「高齢者を守る会」の取り組み

しかし、2016年2月、状況は一転した。4つの施設が不動産会社のパシフィカに売却されたのだ。名前を変えた元敬老の施設はその後もシニアのためのサービスを継続している。が、入居費は上がり、ベネフィットがカットされたために退職する看護師が続出しサービスの質が低下したという声が早くも聞こえてきた。しかも、現在のビジネス形態を存続させなければならない期間は売却後5年。つまり、5年後には高齢者のための終の住処は、ダウンタウンの高層ビルが眺められる高齢者には関係がない高級コンドミニアムに生まれ変わることも可能らしい。

問題はそれだけではない。売却益を含むそれまでの敬老の資産7300万ドルが、施設運営から離れた高齢者向けの健康セミナーなどを行うKEIRO のもとに移った。それまで「高齢者施設に寄付」したつもりのお金が同じ名前でも中身が異なる団体に流れているのだ。このことに異議を唱える有志が立ち上がり、「高齢者を守る会」を結成、KEIROから7300万ドルを、そして高齢者施設を日系社会に戻すことを目標に集会、デモ、署名活動を展開している。

そして、多くの団体からの賛同を受けた同会は、その中の一つ、ジャパニーズ・アメリカン・シチズンズ・リーグのサポートを得て 、高齢者を守る会とKEIRO との公開討論会を開催することになった。私はここ1年、守る会の活動について取材できていなかったこともあり、この討論会を聞きに行こうと決めていた。互いから一体どのような意見が出るのか、少しでも相手の言い分に寄り添えるポイントはあるのか、興味を引かれた。

ところが、開催の1週間前、高齢者を守る会の理事、ジョン金井さんから討論会中止の知らせが届いた。KEIROが一方的にキャンセルを通知してきたそうだ。自由に意見交換できない、隠したいことがあるのかと勘ぐりたくなる。それではなぜ当初は開催を承諾したのか。敬老の問題の行方からますます目が離せなくなってきた。一方で、15年ほど前に「敬老に一緒に入るために寄付金を」と話していた知り合い夫婦は離婚してしまったし、老後は敬老だからとコーヒーショップでボランティアしていた友人はすでに引退し、米系のシニアコンド暮らしだ。人の状況も時代も移りゆく。しかし、敬老の問題を風化させてはいけないと、解決に向けて取り組み続けている高齢者を守る会の参加者には心から敬意を表し、討論会の早期実現を願っている。

2017年6月、高齢者を守る会のミーティングで(左がジョン金井さん)

 

© 2018 Keiko Fukuda

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