Select a primary language to get the most out of our Journal pages:
English 日本語 Español Português

We have made a lot of improvements to our Journal section pages. Please send your feedback to editor@DiscoverNikkei.org!

The Nikkei of Latin America and Latino Nikkei

ドミニカ共和国の二世とCOPANI 2015

2015年8月、5日間の日程ではじめてドミニカ共和国を訪れた。主都サントドミンゴで開催された第18回パンアメリカン日系人大会(通称COPANI)に参加するためで、その結果この国の日系人と交流を深めることができた。数年前からこの国からもJICA日系研修員が来るようになり、その何人かとかなり親しくなっていたので、いずれ訪れることを楽しみにしていた。

主都サントドミンゴの旧市街地をガイド付き散策  

4年前のメキシコ・カンクン大会のときからドミニカ共和国での開催がささやかれ、2013年のブエノスアイレス大会で確定した。そして、この1年間は二世が中心になって様々な困難を乗り越えながら大会を準備し、この10年でもっとも充実した大会の一つを実現した。分科会や全体会議、市内観光や娯楽の部分も、参加者を魅了したといえる。

地元日本人会の共催はなかったが、二世や三世たちがメキシコや他の国の日系人と連携しながら尽力し、立派な国際会議を実現した。メキシコのカルロス春日氏が二回に渡ってサントドミンゴで講演しその収入を大会の準備資金に充てたことは、大きな励みになったことは言うまでもない。

日本では、ドミニカ共和国というとカリブのリゾート「プンタ・カナ」等が有名であるが、それ以外にメディアがこれまで伝えてきたのは、戦後の日本人移住事業の失敗事例で、一部の日本人移住者が後に日本政府を提訴し、控訴審で小泉政権が公式に謝罪し一時金を支払う形で和解したという出来事である1

一方、90年代の南米日系出稼ぎブームを機にドミニカからも来日し、現在約500人が在住している2

この国はカリブ海の島国で、人口は1千万人。国内総生産が556億ドル(6兆円相当)で一人当たりの平均所得が5,500ドルなのでこの地域ではかなり高い。ただ、同じ島に世界の最貧国であるハイチが存在し、越境してくる移民労働の増加は大きな問題となっている。そのうえ国内格差も深刻で、貧困率が35%である3。実際、移民局の前で千人を超えるハイチ人が行列をなし滞在許可を申請しているところをみたが、かなり強烈な光景だった。ドミニカ政府は不法滞在者対策として特別滞在許可制度を実施しているが、実際許可されるのはほんの一部である。

平行して、国境地帯の監視も軍を派遣して強化しており、つい最近駐ハイチのドミニカ総領事館が一時閉鎖になった。ハイチは対抗措置として、ドミニカからの食料品輸入を制限しているため、両国の関係はかなり緊張している4。どちらの政策にも限界があり、国内の人材育成やスキルアップ、もっと雇用を生む産業への国内外からの投資が求められている。

観光、鉱業、農業産業がドミニカの主力産業であるが、前者二つはかなりの部分が外資の投資に依存している。また、農業は亜熱帯地域であっても島の内陸の一部は山岳地帯がいくつか存在し、標高500から1,000メートルの斜面や渓谷では様々な農作物が栽培されている。そして、農産品の半加工・加工食品や野菜等は隣国やアメリカに輸出されている。

日系人の集落があるコンスタンサという町は正にそうした渓谷の一つであり、標高1,200メートルにある(主都から内陸150キロで中部地区に位置する)。人口6万人(全体の0.6%)の自治体だが、国内総生産の4%を占めており、一人当たりの所得がサントドミンゴ首都圏とサンティアゴに次いでもっとも高い。現在、朝と夕方に高速バスがあり、約3時間弱で移動することができる。

すばらしい農業地帯コンスタンサ(主都から内陸150キロ)  

私も日帰りだったが、このコンスタンサ日本人移住地を訪れた。元JICA研修生の脇ゆかりさん宅にお伺いし、近所に住んでいるいくつかの日本人世帯も訪問することができた。後日、その方々がCOPANI大会に出席してくださり、他の南米諸国の日系人たちとも交流し、6カ国から参加した日系歌手によるカラオケ大会をとても楽しんでくれた。演歌になると何かを懐かしく思ったのか、多くの者が涙していたのが印象的だった。同じく感動的だったのは、実行委員会が今生存している一世の方々をこれまでの功績と努力を讃えて感謝状を送ったことである。

大会は、二世が中心に他のラテンアメリカ諸国の日系人と連携して企画・実行した。通常は地元の日本人会等の共催があり一世の幹部も来賓客として大使館やJICAの代表と共に出席するが、今回は残念ながら再三にわたる実行委員長からの懇願にも関わらず前者の姿は見られなかった。逆に、渕上大使ご夫妻と三輪参事官ご夫妻、その他の大使館員、山田JICA所長及び同事務所の職員らは開会式だけではなく一般講演や閉会式にも出席した。実行委員会及び大会に参加した日系人たちはこのことに感銘を受け、とても高く評価した。

COPANIの実行委員会及び協力スタッフ、委員長は国分栄子さんであった。

一部の一世は、移住訴訟が既に法的にも政治的にも決着したにもかかわらず、未だにそのことを根に持っており、次世代のために健全な対応をとろうとしていない。今の複雑な世界では横のつながり(情報網)や他国の経験やノウハウはこれまで以上に重要である。日系人同士の連携があっても到底対応できないものは多々あるが、少なくともCOPANIのような国際的な会合には各国の有力かつ指導的な役割を担っている日系人が集まるので、そこで育まれた信頼と友情は一つの答えを出す際選択の幅が広がることもある。また、日系人を日本のソフトパワーとしてみるのであれば、ときと場合によっては日本との関係強化にもなる。

戦前・戦後であれ、日本人移住事業はどの国でも様々な課題や不備があり、その限界に挑戦しながら自らの力で小さな可能性を実現し、生き延び、成長してきた。大先輩のペルーやブラジルだけでなく、戦後のアマゾニア、ボリビア、パラグアイの移住地でさえも多くの苦難と犠牲がつきまとった。

そして欧州からアメリカ大陸への移住はもっと悲惨なもので、戦争や政治的・宗教的迫害等によって何百万人が海を渡り、政府の支援なしに裸一貫で差別や不理解を乗り越えながら、そして多くの失敗を重ねながら生き抜いたのである。

またいかなる国でも、移民の二世以降はその社会の一員として一世の移住者以上に社会統合を目指さなければならないし、いかなる職業や分野でも地元の信頼や尊敬なしには発展できない。極めつけはアメリカ合衆国の日系人であり、戦時中は親兄弟12万人が強制収容所に送られ、それでも多くの二世は自ら志願して編成された442部隊でアメリカに対する忠誠心を命がけで証明したのである(証明せざるを得なかった)。

日本人の場合、勤勉さや団結力、忍耐や継続という素質によって、マイノリティーでありながらどの国でもすばらしい実績を残してきた。

言うまでもないが、パンアメリカン日系人大会の趣旨は、異なった背景や歴史をもった日系人が二年ごとに一つの場で交流を深め、友情を育み、互いに協力を模索することでもある。30年以上もこうした会合を重ねてきた結果、十分でなくとも参加者たちは多くのことを学び、アメリカ大陸全体の日系人が間接的であっても繋がっている。

ドミニカ共和国の日系社会にとって、今大会の開催は大きな試練だったが、新たな日系の仲間とともにこれまで以上に社会全体の発展のために貢献してほしい。また、同じカリブ海にある近くて遠いキューバには、海外との交流がとても制限されてきた1,200人の日系人がいるので、今後はドミニカの友人とともにキューバの日系人とのチャンネル構築を目指してほしい。

     

注釈:

1. ドミニカ共和国の日系人数は現在800人前後であるが、日本からの移住は1957年から59年の間に行われた。鹿児島県出身者が多く、249世帯1,319人が移住した。ハイチ国境に近いダハボンは土地があまりにも悪かったため、最低限の生活も成り立たなかった。数年後日本政府の支援でかなりの者が日本に戻り、ブラジルやアルゼンチンに転住した者もいた。2000年に、126名の原告が日本政府を相手取って25億円の損害賠償を求めて提訴した。一審で国の責任が認められたが、損害賠償の請求は時効を理由に棄却された。控訴したが、小泉政権のもと和解が成立し、原告一人当たりに200万円(日本在住の原告には130万円)、ドミニカ在住の非原告に120万円(日本在住の非原告には50万円)という特別一時金を請求するという内容で、決着を迎えた。

2. 入管の在留外国人統計(2015年6月)によると、ドミニカ共和国の在留者は466名である。そのうち165名が神奈川県に、43名が東京都、35名が愛知県、32名が埼玉県、そして20名が大阪府と千葉県に、在住している。

3. 現地メディアの報道によると、ここ数年で貧困率を6.7%減少させ、現在は35.5%を推移している。
República Dominicana afirma que reduce pobreza en 6,7% en últimos dos años” (Améroca Economía)

4. 昨年から、不法滞在者の合法化を目的とする特別許可制度が設けられ、これまで約30万人の外国人が申請してきた。そのほとんどが隣国のハイチ出身であるが、許可されたのはその1割にも満たないと報道されている。一部は強制送還される前に本国に戻っているが、何十年もドミニカに定住している者も多い。そのほとんどが正規の在留資格を得ていないのが現状である。
República Dominicana cierra consulados en Haití y acusa agresiones”(América Economía)

 

© 2015 Alberto J. Matsumoto

Copani 2015 Dominican Republic nisei Santo Domingo

About this series

Lic. Alberto Matsumoto examines the many different aspects of the Nikkei in Japan, from migration politics regarding the labor market for immigrants to acculturation with Japanese language and customs by way of primary and higher education.  He analyzes the internal experiences of Latino Nikkei in their country of origin, including their identity and personal, cultural, and social coexistence in the changing context of globalization.