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日系人が語り始めた「もうひとつの勇気」 -戦闘訓練を拒否し、反逆罪に問われた元日系兵士の名誉回復-

第二次大戦中の日系兵士の歴史は、ヨーロッパ戦線で活躍した442部隊がよく知られているが、442部隊としてヨーロッパ戦線に送られる前の訓練の段階で、戦闘訓練を拒否したために、反逆罪に問われ、懲役刑を受け、不名誉除隊になった日系兵士21人がいた。

第二次大戦中、戦闘訓練を拒否したために反逆罪に問われたフレッド・スモゲさん(95歳)。スモゲ(住母家)さんの一世の両親は千葉県出身。
(写真=東 繁春)

2012年にこの懲罰を受けた日系兵士に関する初めての書籍が出版され、ロサンゼルスの日系人の間で、ようやく知られるようになった。そして2015年9月12日に全米日系人博物館内のタテウチ・フォーラムで行われた、442部隊の功績を継承することを目的とする非営利団体「ゴー・フォー・ブローク」と全米日系人博物館の共催によるシンポジウムでは、懲罰を受けた元兵士の家族約20人と、元兵士1人が初めて公の前に姿を現した。

このシンポジウムは「もうひとつの勇気」(A Different Kind of Courage) と題されていた。

第二次世界大戦中に、日系人強制収容所から、二世の志願兵を集めて米陸軍の中に日系部隊(442部隊)が作られたことは、よく知られているが、日本の真珠湾攻撃による日米戦争の勃発前そして、日系部隊が編成される前から、数百人の日系二世や帰米二世(米国生まれで日本で教育を受けた二世)が、すでに米陸軍に入隊していた。

1941年12月に日米戦争が始まると、日系兵士のうち、特に帰米二世は、敵国の出身であるとして、米軍内で不信者として扱われるようになっていた。日系兵士には、糞尿の処理、便所掃除、雑草除去、荷役など武器を持たない仕事が与えられた。

そして、このように軍隊内で不当な扱いを受けていた日系兵士たちに、止めを刺すような事態が起こった。カンサス州のフォート・ライリー陸軍基地では、1943年、ルーズベルト大統領がこの基地を訪問した際、同基地内のすべての兵士が大統領の閲兵を受けている間に、約130 人の日系兵士は、大統領へ危害を加える恐れがあると隔離され、数時間、拘束された。

その後、日系兵士たちは、ヨーロッパ戦線に派遣される442部隊として訓練するため、アラバマ州のフォート・マクレラン陸軍基地に集められた。1944年3月20日、当時、マクレラン基地には約600人の日系兵士がいたが、この日、上官の差別発言に反発して戦闘訓練への参加を拒否した106人の日系兵士が拘束された。そして、この中から28人が起訴され、21人に反逆罪が適用され、5年から36年の懲役と強制労働が課せられた。

懲役刑を受けた二世兵士は、戦後の大統領恩赦によって、全員、軍の刑務所から釈放されるが、不名誉除隊の烙印をされた。

シンポジウム「もうひとつの勇気」で紹介された懲罰を受けた元日系兵士たちの若き日の写真
(写真=東 繁春)

懲罰を受けた21人の元日系兵士のうち、11人が40年かかって、米陸軍に異議申し立てを行い、名誉回復を行ったが、2012年にオレゴン州ウイラメット大学教授のリンダ・タムラ博士の著書 Nisei Soldiers Break Their Silence (沈黙を破った二世兵士たち)が出版されるまでは、この事実は、日系人の間で知られることがなかった。

シンポジウム「もうひとつの勇気」では、リンダ・タムラ博士、懲罰を受けた元兵士の名誉回復の訴訟を担当したポール・ミネリック弁護士、そして懲罰を受けた元兵士の長男で、日系市民協会(JACL)ロサンゼルス支部長を務めたことがあるゲーリー・イタニさんがパネリストとして発言した。

懲罰を受けた元兵士たちは、すでにほとんどが亡くなってるが、シンポジウムでは、95歳のフレッド・住母家(すもげ)さん(写真)と、亡くなった懲罰兵士の家族約20人が初めて公の前に姿を現した。

「ゴー・フォー・ブローク」を代表して展示マネージャーのクリス・ブラサットさんは、「日系兵士の歴史の中で、懲罰を受けた兵士の存在は、442部隊兵士とは、正反対の立場になるが、戦場に行くことを決断することも、戦場に行くことを拒否する決断も、いずれも、勇気ある決断であり、ゴー・フォー・ブロークの日系兵士の功績を記録し、その体験を次世代に伝える活動にとって、懲罰を受けた兵士の体験も次世代に伝えなければならないこと」とあいさつした。

 

関連書籍

Nisei Soldiers Break Their Silence: Coming Home to Hood River by Linda Tamura, University of Washington Press

 

© 2015 Shigeharu Higashi

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