Select a primary language to get the most out of our Journal pages:
English 日本語 Español Português

We have made a lot of improvements to our Journal section pages. Please send your feedback to editor@DiscoverNikkei.org!

アメリカ移民文学、最後の旗手 ~山城正雄さん~

45年間コラム執筆、96歳の今も現役

アメリカ在住の沖縄県出身者を対象に取材を始めて2年になる。沖縄系であれば、沖縄生まれでない日系二世、三世、四世といった新世代でもいいし、血縁としてはまったくの無関係でも、沖縄伝統の文化や料理、また気候風土に興味を持っている人でもいい。沖縄出身でない私は、常にウチナーンチュ人脈を辿るべく意識的に努力している。一度取材した人には「どなたか取材すべき人はいませんか?」と紹介をお願いする。そんな時、数人の人から「是非会って話を聞くべきだ」と推薦されたのが、山城さんだ。

山城さんとは、ロサンゼルスの日英両語の日刊紙、羅府新報に45年の長期にわたり、「仔豚買いに」というコラムを連載している文筆家、山城正雄さんのことである。紹介者の一人が私と会っている時に山城さんに直接電話をかけてくれた。受話器の向こうに、御年96歳とは信じられないほど若々しく溌剌とした男性の声が響いた。

山城さんの著書、「帰米二世」を読み終えてから、ロサンゼルス市内の山城さんの自宅を訪問すると、約束の時間に合わせて待っていてくれたのか、前庭でご本人が迎えてくれた。

ロサンゼルス市内の自宅で静江夫人と共に。

既に山城さんはさまざまな機会に取材を受け記事になっているが、ここで再び簡単にプロフィールを紹介しよう。1916年にカウワイ島に生まれ、幼い頃、姉や弟と共に親の郷里である沖縄県に戻った。帰米二世である。

両親を既に亡くしていた正雄少年の心の拠り所は本だった。小学生の頃から芥川龍之介や菊池寛を読み焦った。16歳でハワイに一旦戻った後、ロサンゼルスに渡り私立大学に通い始めた。しかし、日米開戦となり、ツールレーキの収容所に送り込まれた。そこで、山城さんは仲間と共に同人誌「鉄柵」を創刊した。

戦後も文学仲間との交流は続き、1965年、文芸誌「南加文芸」の創刊メンバーにも加わった。南加文芸を去った後は前述のように、羅府新報のコラムの執筆を現在に至るまで続けている。

「小さな成功者だと満足」

彼が扱う素材は、日本語にこだわり続ける「帰米二世」の視点から見たアメリカ社会、そして対岸の日本の社会である。二重国籍者である山城さんは、数十年前に日本で婚姻届を出そうとして、役所から矛盾したことを言われ、右往左往させられたことを自著に著している。日本では部外者扱いされ、かたやアメリカでは英語を主体に話す純二世たちとは日本語を母国語とする帰米二世として一線を画しつつも、「日本語によるアメリカ移民文学」のサバイバーとして、今日も執筆も精に出す。

彼の文章から感じられるのは、公平を求める徹底的に前向きな姿勢である。

文学の仲間たちには先立たれてしまったが、山城さんの本の表紙絵やコラムの挿絵を手がけてきた画家の静江夫人と静かな生活を送り、「この年で夫婦ともにぼけていないことが何より有り難い」と話す。

ぼけていないどころか、さすがに現役のコラムニストだけあって、山城さんの好奇心は旺盛で、取材に行った私にも質問を繰り出してくる。「コラムの『タイトルの仔豚買いに』の意味、あなたはわかりますか?」との答えには困った。「沖縄の人は豚をよく食べるからですか」と曖昧な返事をすると、「子供の頃に、出かけて行く人に『どこにお出かけですか?』と挨拶すると『ちょっと仔豚を買いに』と答えてきたものです」と明解に答えてくれた。さらには「沖縄出身ではないのに、なぜ沖縄の人を取材し続けるのか」という質問までされた。興味の泉は尽きるところがない。

人や社会に対する好奇心で溢れた山城さんの心は、文学全集に目を輝かせ胸を躍らせた少年の頃そのままかもしれないとさえ思える。そして、正雄少年は、大人になって2冊の本を上梓することで、子供の頃の夢を叶えたのである。「子供の時の夢など、大人になったら諦めてしまうでしょう。でも、僕は諦めずにずっと書いてきた。自分では“小さな成功者”だと満足しています」。山城さんはそう言って嬉しそうに微笑んだ。

© 2012 Keiko Fukuda

kibei literature masao yamashiro nisei okinawa writer