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笠戸丸は「明治の精神」をのせて

「すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残っているのは畢竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」(『こころ』より)

日本の高校生で、現代国語の時間にこの作品を読んだひとは多いと思う。もちろん全部ではなく、上の一節を含む「先生の遺書」の部分だけだ。どんな文 学作品でも教材になってしまうと退屈なものになる。私など、ほとんど一学期間かけてだらだらと読み続けたような、明らかに誤った記憶があるばかりで、中身 はまったく印象に残らなかった。『こころ』をおもしろく感じたのは、ずいぶん後に江藤淳の評論を通してのことだ。

江藤淳によると、「エゴイズムと愛の不可能性という宿痾に悩む孤独な近代人として生きなければならなかった」漱石(先生)は、天皇崩御とそれに続く 乃木の殉死に遭遇して、「『明治の精神』が、彼の内部でまったく死に絶えてはなかった」ことを悟ったのだという。それを悟って作家は、「自分が伝統的倫理 の側にたつものであることを明示するために」『こころ』を書き始めたと。(江藤淳「明治の一知識人」より)

「明治の精神」というのは、実は私にはわかるようでわからない。国家と自己が同一化され、政治家だろうと文学者だろうと当然のように分け持たれてい る、自分たちの国づくりに何らかの貢献をしなければならないという使命感、といったのでは浅薄にすぎるだろうか。いずれにしても今のわれわれ日本人の大半 にとって、理解が容易ではない「精神」だろう。

夏目漱石は慶応3年、その8年前の安政6年に水野龍が生まれている。水野は、自分の会社の名前に『皇国』の一語を高らかに掲げ、ブラジル移民事業は 私利私欲で携わるべき仕事ではなく、国家的事業であると主張した。私利私欲から離れた事業、などというものに今の世の中では滅多にお目にかかれないものだ から、そんなことを言われても私たちの耳には空々しく響くばかりで、金儲けのための大義名分ぐらいだろうとしか思えない。もし「これは私利私欲を離れた事 業です」といいながら近寄ってくる者があったとして、警戒心なしに誰がそれ以上の話を聞くだろう。しかし水野の言動を追跡し、生前身近にいた人たちから話 を聞くと、この人は本気でそう考えていたとしか思えなくなってくる。彼も「明治の精神」の保持者であり、夏目漱石と同じ時代を生きていた、そう考えれば、 ようやく水野の事業を言葉通り受け取ることができる。

『こころ』の先生(漱石)に「明治の精神」の終わりをはっきりと意識させたのは、明治天皇の死と乃木将軍の殉死だったわけだが、終わりの兆候はそこ までにすでに現れていた。日露戦争に勝利したことで、明治維新以来皆で目指してきたものがすべて達成されたかのような高揚した気分が国内に満ち、自己肯定 と個人主義が謳いあげられる大正時代に活躍する新しいタイプの人間が出てくる。資本制も確立し、多くの人は自分の利益を追求することに余念がない。一方で 社会主義者や無政府主義者の活動も目立ってくる。水野や漱石の世代にとっては、時代が変わりつつあることが実感されるような日々だったはずで、おそらくそ れを彼ら「明治の精神」の保持者たちは違和感を持って眺めていた。それは「明治の精神」そのものであった明治天皇も同様だった。その現われが、建国の精神 を忘れるなと呼びかけた「戊辰詔書」だ。「戊辰詔書」が出されたのは明治41年、笠戸丸と同じ年だ。

水野が、サンパウロ州と移民契約を結んだ時に詠んだという歌がある。

    としを経し磯の醜草根を絶へな移し植なむ大和撫子

笠戸丸はもしかすると、失われつつあった「明治の精神」をブラジルに移植して生き延びさせるための、水野にとって箱舟のようなものだったのかもしれ ない。「戊辰詔書」が出されたこと、水野によってブラジル移民事業が構想・実現されたこと、漱石が『こころ』で描いたことも、同じ状況を踏まえての、それ ぞれの表現だったのではないか。明治天皇は直接的に戒めの言葉を発し、漱石は主人公に「時勢おくれの感じ」を持たせて死なせる作品を「明治の精神」のいわ ば墓碑銘として残し、漱石の8つ年長であったせいとその資質の違いによって「エゴイズムと愛の不可能性という宿痾に悩む孤独な近代人」にはならず、生涯 「明治の精神」を見失わなかった水野は、行動することを選んでブラジルに日本移民を送る。

移民史に外からかかわっているにすぎない者が勝手な思い入れから物語をつくるのも迷惑な話だろう。ともあれ移民百周年だ。次の区切りは二百年だろう か。いずれにせよ、起源には常に笠戸丸があり、水野龍がいる。たかが起源、されど起源というところで、その意味は、この先何度でも読み替えられ、語りかえ られていくのだろう。

結局最後まで狙いの定まらなかったこの連載も今回で終了。特にまとめの一回というわけでもなく、前回の末尾を引き取って水野龍と笠戸丸の話をもって締めくくりとしたい。

© 2008 Shigeo Nakamura

About this series

This is a 15-part column that introduces the lives and thoughts of the Japanese community in a small town in the interior of the Brazilian state of Sao Paulo, interweaving the history of Japanese immigration to Brazil.

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About the Author

Researcher at Rikkyo University Institute of Asian Studies. From 2005, he served as a curator at a historical museum in a town in the interior of the state of São Paulo, Brazil, as a youth volunteer dispatched by JICA for two years. This was his first encounter with the Japanese community, and since then, he has been deeply interested in the 100-year history of Japanese immigration to Brazil and the future of the Japanese community.

(Updated February 1, 2007)

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