Discover Nikkei

https://www.discovernikkei.org/en/journal/2008/03/15/

第5回 アメリカ人の心つかんだ沖縄秘伝の空手 

劉衛流パンアメリカン・チーフインストラクター
新城友弘さん沖縄生まれの新一世


沖縄空手の一流派である劉衛流 (りゅうえいりゅう)。1979年から現在まで数千人のアメリカ人に指南してきたのが、劉衛流の南北アメリカの頂点に立つ新城友弘さんだ。

UCサンディエゴ内の道場を訪ねると、黒帯の門弟が6人集まっていた。道場に入る時は「押忍」、練習では「気をつけ」「正座」「先生に礼」といった日本語が用いられる。

新城さんに師事して16年になるオフィラ・バーグマンさんは「5歳の時から日本式の空手を習っていました。でも、新城先生に出会ってすぐに沖縄空手 の魅力にとりつかれました。日本の空手は攻撃と受け身が1対1の割合ですが、沖縄空手、特にこの劉衛流では一つの動作に対して二つの動作を繰り出すことも あります」と、沖縄空手に魅かれた理由を答えてくれた。

劉衛流は中国に留学していた開祖、仲井間憲里 (なかいまのりさと)が沖縄に持ち帰った、中国拳法の源流を汲む空手・古武術。長年、門外不出の秘術とされていたものが、20世紀半ばに一般にも弟子を求め公開されるようになった。

新城さんが劉衛流を始めたのは、1960年代の後半、中学生の頃だった。本土の中京大学の体育学科で学んでいた間は、日本式の空手に取り組んだ。し かし、沖縄に帰省するたびに師匠を訪れて研さんを続け、大学卒業後は劉衛流をアメリカに広めることを目的に、1979年、同じ志を持つ友人と渡米してき た。

「米海軍に勤務している方の奥さんと知り合いになり、身元引受人になっていただいてサンディエゴにやって来ました。ところが、その女性はすぐにご主 人の転勤でワシントン州に引っ越してしまいました。途方に暮れて、友人とバルボアパークでぶらぶらしていたら、一人で空手を練習しているアメリカ人を見か けたのです。身振り手振りで話しかけて知り合いになり、彼と一緒にアパートの前庭などで空手の練習を始めるようになったのです」

自然な動きと精神修養

その後、少しずつ口コミで生徒が集まるようになり、道場を借りるようになった。現在ではサンディエゴとオーシャンサイドに住む門弟たちが、チュラビ スタの本部道場やUCサンディエゴ内の道場に集まってくる。門弟の指導は黒帯の弟子に任せ、新城さんが直接教えるのは子供を中心に70人ほどだとか。

「早い時期から礼節を身に付けるという意味でも、子供に教えるのは有意義です。ただ技能を習得するだけでなく、精神の修養になります」ここ30年で アメリカ人に急速に広まった沖縄空手。その理由について新城さんは「沖縄の空手、特に劉衛流は自然な姿勢を重要視します。立ち方に無理がないし、随所に自 然な動きを取り入れています。腰を落とした見た目の美しさばかりを重視すると、身体に負担がかかります。重心を低くするというのは白人や黒人の体型では非 常に苦しい。でも、沖縄空手では重心を低くする必要がない。アメリカ人に受け入れられたのはその辺にも理由があるかもしれません」

しかし、さまざまな流派が一堂に会して競う大会では、勝つために見た目の美しさを求めて、時には型に無理な姿勢も取り入れざるを得ない。そこが葛藤であり、克服すべき今後の課題だと語る。

新城さんは、アメリカ人の妻、タミーさんとの間に5人の子供に恵まれた。この日も長男の友憲さんと次男の友嗣さんが練習に参加していた。「子供たち が空手をやるべきだと主張したのは家内です。半分は沖縄の血が入っているのだから、と半ば強制的に始めさせました。私はむしろ、そういうことは言わないタ イプなんです」と新城さん。ウチナーンチュの伝統は、アメリカ人妻の内助の功で引き継がれているようだ。

www.ryueiryu.com

* 本稿はU.S. FrontLine January 2008 (3rd week) からの転載です。

© 2008 Keiko Fukuda

combat Japan karate martial arts Okinawans Okinawa Prefecture Uchinanchu U.S. FrontLine (magazine)
About this series

Keiko Fukuda's seventh installment of her series on the Okinawan community in America. Reprinted from US Frontline , a free Japanese weekly magazine read by Japanese people in the United States.

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About the Author

Keiko Fukuda was born in Oita, Japan. After graduating from International Christian University, she worked for a publishing company. Fukuda moved to the United States in 1992 where she became the chief editor of a Japanese community magazine. In 2003, Fukuda started working as a freelance writer. She currently writes articles for both Japanese and U.S. magazines with a focus on interviews. Fukuda is the co-author of Nihon ni umarete (“Born in Japan”) published by Hankyu Communications. Website: https://angeleno.net 

Updated July 2020

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