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ブラジル国、ニッポン村だより

移住地に来た理由

移住地に暮らした人びとが、そもそも日本を出ることになった理由はさまざまだ。

ブラジルに来ることを決めたいきさつを話してくれるKYさんの脳裏には、ある映像が鮮明に蘇るようだ。

KYさんの故郷は山の中にあった。村人の暮らしは山とともにあるといってよいようなところだった。KYさん一家の生業も山仕事だったから、仕事をする年齢になったら山に入るものだと思いながら成長した。そのことに抵抗があるわけでもなく、疑問を感じたこともなかった。

ここでこのまま大人になるのはなんとも気がすすまないと感じるようになったのは、十代半ばを過ぎた頃だったという。きっかけは、学校帰りにしばしば遭遇するようになったある光景だった。

通学路に山の入り口があった。山仕事の男たちはそこから山に入り、何日も木を伐り、伐った木を運び出したりして働くのだ。男たちのそんな姿が、KYさんにはおなじみのものだった。

ところがある時期から少し様子が変わってきた。

学校の行きかえり、KY少年は、山の入り口のところでたむろする大勢の屈強な男たちを見かけるようになる。男たちは山に入ろうとせず、明るいうちか ら酒を飲み、博打に興じていた。その様子はなんとも不健全で、あたりに近寄りたくない雰囲気を醸し出していた。仕事もせずに遊び暮らす大人たちの姿に、少 年はひどく失望を感じた。

「もうあと何年かすればあの中に入らなければならないかと思うと、嫌で嫌でしょうがなくなった」映像ばかりかその場の嫌な感じをまるごと思い出した かのような表情で、あの仲間に入らずに済んだだけでもブラジル移民という自分の選択は間違っていなかったと言わないばかりだ。よほど強烈な印象を受けたで あろうことが伝わってきた。

今から考えれば、KYさんは、日本近現代史上に残る大不景気初期の一場面に遭遇したということになるだろう。たむろしていた男たちは、すすんで怠惰 で享楽的な暮らしをしていたわけではなく、働こうにも仕事がなかったのに違いない。日本の農村の疲弊は実際にはそこからさらに進み、昭和初期のブラジル移 民最盛期の背景ともなったのだ。

KYさんには東京に出た兄弟もあったから、故郷を脱出する方法はほかにも考えられたはずだ。東京を飛び越してブラジルにまで行くことになるについては、叔 父の存在があった。叔父一家がいずれブラジルに行くらしいという噂を耳にしたKYさんが家族に内緒で訪ね、行く時には必ず自分も連れて行ってくれと頼み込 んだのだ。紆余曲折あったが、KYさんはとうとう意志を貫いた。そして日本人移住地に入植する一団に加わった。

KYさんの叔父さんは、実直を旨とする役場勤めの人で、別に日本を出て海外に雄飛しようという野心などないタイプだった。ブラジルとの縁は、役場での仕事に関連してできたものだ。

当時日本の政府は、アメリカに代わる移民の送り出し先としてブラジルに力を入れる方針を打ち出したところだった。法律をつくり、日本のお金でブラジルに土地を買い、学校や病院まで整備できるようにした。そうして日本人移住地ができることになった。

移住地に住むには、自分が住む都道府県にある組合に加入しなければならない。日本の国策でできたその組合は、役場のなかに設置されているのが普通だった。叔父さんの役場にもある時突如として「ブラジル」がやってきて、移住希望者を集める仕事を任されることになった。

組合員になって家族でブラジルに行けばあなたは大地主だ。移住地には日本人だけが住んでいるので日本にいるのと同じ暮らしができる。KYさんと同時期に移住地にはいった人の記憶では、そこには映画館や女学校さえあることになっていたという。

たぶん叔父さんは、言われた通りにそんな話をしながら勧誘をしていたのだろう。悪くない条件のはずだった。予定の人数はすぐに集まると思われた。し かし予想に反してブラジルに行こうという家族はそれほど現れなかった。話がうますぎると思われたのか(実際映画館も女学校もなかった)、いくらなんでも やっぱりブラジルはあまりに遠いということか、理由はよくわからない。

それでもなんとか集まった数家族とともに、おじさんは一家を引き連れてブラジルに行く決心をした。その理由を叔父さんは、「あれだけ人にブラジル行 きをすすめておいて、自分が行かないわけにはいかない」とKYさんに語ったそうだ。おじさんは応募家族数が予定数に満たなかったことの責任を役場に対して とると同時に、いわば自分の勧誘にのってブラジル行きを決意した人びとに対しても責任をとるつもりだった。KYさんはそんなふうに理解したという。昔の日 本には自分の職務にそんなふうな責任を感じる人が確かにいた。

こんな風に、いろんな理由でブラジルにやってきた人たちが集まって移住地はできた。

たむろする男たちの姿に衝撃を受けてブラジルに来ることになったKYさんは、「来て良かった」ときっぱり答える。おそらく故郷では開花しなかったであろう スポーツマンの天性をいかんなく発揮して、野球、相撲、陸上に大活躍し、90歳を過ぎた今はゲートボール界の重鎮として知られる存在だ。

© 2007 Shigeo Nakamura

About this series

ブラジルサンパウロ州奥地の小さな町の日系社会。そこに暮らす人びとの生活ぶりや思いを、ブラジル日本人移民の歴史を織り交ぜながら、15回に分けて紹介するコラムです。