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勝ち組・負け組
Masato Ninomiya September 19, 2019
それから、1941年ですか、昭和16年の7月末ですかね、今度はもう外国語による新聞の発行が禁止されたんですね。そうすると日本人の圧倒的大多数はポルトガル語ができないから、結局その日本語の新聞によるそのニュースがわかんなくなってしまって。で、そのうち戦争が始まり、日本からのニュースが短波放送によるものしか聞けなくなってですね、それで戦争が終わった時に、戦争が終わった時に日本が勝ったとか負けたとかそういう議論になる、なるわけですね。それで、勝ち組とか負け組とか言う、今で言えば考えられないような、そんなことが起こってですね。 その日本が負けたと認識していたのは、やっぱりそのポルトガル語が分かり、あるいは英語がわかるような、いわゆる日系社会のインテリ層の人達だったんですが、しかしその臣道連盟とかそういうのが、結局その日本が負けたと言ってる連中は国賊だ見たいなことになり、それで、そんな今で考えればちょっとなんて言いますかね、本当に常識外れのようなことが起こって。たしか23人位のいわゆる認識派ですね、敗戦派と言うのが殺害され、150~160人が怪我をし、それでまあブラジル政府もほっとけなくなってですね、それでまあ、あのそういった人達を逮捕して、サンパウロ州の北部海岸にあるアンシェッタ島という島の刑務所に送り込んだと。 100周年、2008年の時に、「私は誰誰をえ~殺したんだ」と言うような人なんか出てきたりしてですね。その彼が腹に巻いていたというその寄せ書きがまぁ今移民資料館に飾ってありますけどね。
移住当初も若干残っていた勝ち組
Masato Ninomiya September 19, 2019
私がその移住した1954年っていうのは、ちょうどサンパウロ市の創立400年祭ってのがあってですね、我々が1月26日、1月16日に着いたんですけど、1月の25日がサンパウロの創立記念日で、私はまだ5歳で全然覚えてないですけど、まあ盛大なお祭りがあったわけです。 しかしながらその頃まだ、桜組廷臣隊と言う団体が残っててですね、彼らは、日本は戦争に勝ったんだけども、戦争の結果、まだまだ再建の道が険しいので、自分たちを国費で帰国させろというような、運動ですね、あのサンパウロのプラサ・デ・セから総領事館があるとこまでデモ行進したりしてね。その写真はあの移民資料館にも残ってますけど。まあそういうまだ、いわゆる勝ち組と言う人が戦争が終わってからまだ10年経っても未だ若干いたということですね。
日本政府の日系人に対する誤った思い込み
Masato Ninomiya September 19, 2019
1990年の6月に入管法改正されて、来年で30年になるんですけど、二世、三世の人たちが日本にどんどん行き始めていた時代なんですね。 日本政府は二世、三世ならば日本語もできるだろうし、日本文化もある程度分かっているだろうし、日本に適応するスピードも早いんじゃないかみたいなことを考えて入れたんですが、当時私もインタビュー受けてどう思うかと聞かれて、私はね、「日系人を日本人と同じだと思ってると間違いが起こりますよ」と言ったようなことを覚えているんですけどね。 実際その通りになったわけですよ。日本語ができると思って入れたんだけど、実はできなかったりね。それから、子供たちも連れてきたら、その子供たちが日本の学校に適応できなかったり。というようなことで、日本の外務省と労働省がですね、サンパウロにやって来て、とにかく日系人を、日本に働きに行くにあたって、事前に日本語とか、日本の文化、日本の法律、日本の習慣なんかを事前に教育する団体が必要だと、いうことで、文化協会とそれから県人会連合会とそれから援護協会、その3団体に話があってですね、その3団体から5人ずつ人を出して評議委員会を作って、私がそのCIATE(Centro de Informação e Apoio ao Trabalhador no Exterior、日伯雇用サービスセンター)の理事長になったわけですね。延々と27年間それを続けてやっているんですが。
日本国籍を復活させたい
Masato Ninomiya September 19, 2019
やはり日本の国籍を持ちたいなと思いますね。それは必要に迫られてブラジル国籍を取ったわけで、それについては何の違和感もないし。これがその日本国籍を取ることによってブラジル国籍がなくなるのであれば、それはもう一度考えるかもしれないけども、仮に私が日本国籍を復活させたとしても、ブラジル国籍なくならないんですね。二重国籍であってもいいじゃないかと。ただ日本の国籍法上は「ブラジル国籍をなくしますね」と聞かれて、「はい」と答えなければいけないけども、実際にはなくならないわけですよ。だから日本国籍を持って死にたいな、なんて思うこともありますね。 それで「あんたは日本に永住するんですか」、「日本に住みたいんですか」と言われると、やっぱり生活の本拠はブラジルにあるし、日本に住所を移して、日本に住んでいることを立証しなくちゃいけないんで。と言うわけで、将来、まだいつの段階でそれをやると決めていませんけど、日本の国籍を私は復活させようという気持ちは、強く今は持ってますね。
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