194 results

Japanese reputation in Colombia
Monica Teisher September 22, 2019
And thankfully in Colombia, Japanese people have a good reputation. So, it worked into our …

Interracial marriage trends
Monica Teisher September 22, 2019
Up to my mom's generation, of my mom's age, most of the marriages were within. …

His sister Kiyo was like a second mother to him
Kazumu Naganuma September 20, 2019
She's the one out of all of us that was the most outspoken. Outspoken in …

Influence of Mexican culture after returning from camp
Mia Yamamoto July 14, 2020
You know, it’s interesting because when we first came back from Camp, we actually got, …

Understanding anti black racism in high school
Mia Yamamoto July 14, 2020
I remember we would run around town and we just have so much fun. And …

Cofounding the Asian Pacific Islander Law Student Association
Mia Yamamoto July 14, 2020
We got with the Black and Chicano law students and they encouraged us and told …

Standing up for social justice
Mia Yamamoto July 14, 2020
If you are not indignant about what's going on out there, you got a problem. …

Japanese American solidarity
Mia Yamamoto July 14, 2020
I think if I have any one message to my own community is that we …

奥様とのなれそめ
Masato Ninomiya September 19, 2019
サンパウロ大学の日本語学科に試験を受けて入ってみたら、同級生に2人非日系人がいてですね、日本語が全くわかんないから、週末にそのうちの一人の家に集まってですね、日本語を少し教えるというようなことをやってるうちに、そのうちの1人とお付き合いをするようになり。お友達でいるうちはうちの親は何も言わなかったけど、ある時お付き合いをしているのがバレて、かなりけしからんみたいなことになってですね。 その時しかし、もう日本に行くことは大体もう決めていましたから。(彼女は)東京外国語大学の日本語学科に4年間いて、さらに筑波大学に行って修士課程と博士課程で全部10年日本にいたんですね。私もたまたま10年間日本にいて。私が博士課程を終えた時に、じゃあそろそろ結婚をするという年齢にもなっていたし。 日本で彼女はブラジルに赴任する人たちにポルトガル語を教えたりしてて、そうすると、そういう人たちがブラジルにやってきて、うちの親に会ったりすると「息子さんのフィアンセに会ったたけど、彼女はなかなかいいんじゃないですか」と言ってくれて、親も仕方ないと思うようになったんですかね。

子供の日本語教育について
Masato Ninomiya September 19, 2019
サンパウロに住んでるうちにですね、私の父は1989年に亡くなって、母親は私の家族、弟の家族も自分のところに来て住まないかと言ったけど、母は私のところに来ることを選んで、我が家で生活を始めたと。そうすると、三男が1990年に生まれてますから、三男がおばあちゃん子で、一生懸命おばあちゃんが日本語で喋ってですね。それから上の二人も日本語で喋って。うちの母が子供達の日本語教育に貢献してくれたけど、夫婦の会話は常にポルトガル語ですよ。母親だけが日本語しか喋れないので、母親と私の子供達、母親と孫達、母親が日本語で話すのはわかってたんですかね。 冬になると東京大学に招かれて行くようになって。それはそれで悪いことじゃなかったのは、宿舎を与えられましたから、小さかった子供達を連れて日本に行って、母親も連れてって。したがって自分は、直接こういうれっきとした教育方針をもって、子供たちをある一定のモラルの元に日本語も教えてというようなことは、自分の教育方針としてはっきりと持っていたわけではないけども、しかし間接的にそういう風にして日本に連れて行ったり、日本文化に接するということはしましたね。