『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
北米報知財団とワシントン大学スザロ図書館による共同プロジェクトで行われた『北米時事』のオンライン・アーカイブから古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を探る連載。このシリーズの英語版は、『北米報知』とディスカバーニッケイとの共同発行記事になります。
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『北米時事』について
鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。
このシリーズのストーリー
第14回(後編) 二世の進学した大学
2023年7月7日 • 新舛 育雄
第14回(前編)を読む >> ワシントン大学と日本人社会との繋がり 「華大の女学生が日本人街を見学」(1938年8月17日号) 「華大夏季講座の女学生35名が華大YMCAの主催で日本人街を見学した。一行は女学生と言っても夏季講義を受けるハイスクールや小学校の先生達も来り、白髪の老嬢さへ見受けられた。 一行は先ず国語学校を覗き、窪田氏の日本庭園でワンダフルを連発、日蓮教会で奇異の瞳を輝かせ、日本人聖公会に立ち寄ってから、本社を来訪、工場を一巡して奇問を連発、更に回…
第14回(前編) 二世の進学した大学
2023年7月6日 • 新舛 育雄
前回は二世の二重国籍問題と結婚問題についてお伝えしたが、今回は二世の進学した大学に関する記事1を紹介したい。多くの二世達はアメリカの高等教育機関である大学に進学し、最先端の知識や技術を学び、日系人社会への貢献を目指した。 ワシントン大学への入学 ワシントン大学の歴史についてワシントン大学在学の岡丸正二が1939年1月1日号へ寄稿した「華大(ワシントン大学)と日本人学生」では、次のように掲載されている。 「華大は1861年、東京帝大設置に先立つこと四分の一世紀の…
第13回(後編) 二世の二重国籍と結婚問題
2023年6月12日 • 新舛 育雄
第13回(前編)を読む>> 在米二世への見方 在米二世が日本やアメリカからどう見られていたか、また反対に在米二世が日本をどのように見ていたかを語った興味深い記事を紹介したい。 1.日本の女子学生の見た在米二世 『彼女の見た二世』—在米邦人の祖国認識それは明治大正物です—」(1935年10月4日号) 「今夏、ポートランドで開かれた日米学生大会へ日本の学生代表として渡米した月本峰子嬢の在米二世に対する感想と云ふのが下のように伝えられて居…
第13回(前編) 二世の二重国籍と結婚問題
2023年6月11日 • 新舛 育雄
前回は国語学校についてお伝えしたが今回は第二世が成人していく中で起こった二重国籍問題と結婚問題についての記事についてお伝えしたい。 二世が誕生した時に、米国へ出生届を提出すると同時に領事館を通して日本へ出生手続きを行い、多くの二世が二重国籍者となった。二世は成人となり、どちらの国の国籍を持つべきか、又どちらの国の人と結婚するかという切実な問題に迫られた。 二世の出生届け 二世の数が増大していった1919年頃の出生届けについての記事があった。 「米国出生児童の入…
第12回(後編)国語学校での2世教育
2023年4月27日 • 新舛 育雄
第12回(前編)を読む >> 教科書問題 『北米時事』の1919年2月13日号1の記事には、国語学校で使う教科書について話し合いがもたれたことが記されている。 「シアトル国語学校にては兼て教科書編纂の議あり。学務委員会にてしばしば協議の結果当ワシントン州各地国語学校教師並びに維持会役員、学務委員等の意見を徹して最後の決定をなし編纂に決せば協同事に当ることゝなりたるより、一昨日実業倶楽部に於て州内15校当事者会を催したるが、出席者は8校を代表せる。 植村(スポ―ケ…
第12回(前編)国語学校での2世教育
2023年4月26日 • 新舛 育雄
第11回にお伝えした写真結婚から多くの日系2世が誕生したことで、アメリカで生まれた子供たちの日本語教育がシアトル日本人社会での課題になった。今回は、2世の日本語教育のために創立されたシアトル国語学校についてお伝えしたい。 シアトル国語学校創立 シアトル日本人会は1902年に、北米最初の日本語学校としてシアトル日本人会付属小学校を創立した。創立当時、生徒数は4人、教師1名だった。1908年にシアトル国語学校へ名称変更した。 校舎は日本人会の建物内にあり、その後にシアトル…