ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/670/

「コレマツ対合衆国」裁判が与えるアメリカの自由人権への脅威 (英語)

(英語) 私は、「コレマツ対合衆国」裁判は、未だ合衆国の自由人権に影を落としていると思います。お話した通り、(当時提出された)証拠は偽証だったことがコレマツ再審裁判を経て証明されています。ですから、「コレマツ対合衆国」裁判はそれを踏まえた上で解釈されるべきなのですね。

しかしながらこの訴訟について未だ危険なとらえ方をしている本もあって、その1つに、国家危機の状況下においては軍の市民に対する(身柄や行動を制限する)権限の正当な保持を、コレマツ裁判が証明しているかのように読み取れる部分があるのです。もちろん軍の権限が全てではないと唱えられていますし、市民への軍力の行使は精細に検討され制限されるべきで、国家危機の状況下においても憲法が最高の権限を有していることは他方で明らかにされています。しかし、コレマツ裁判が未だ抱える問題点の1つは、軍が市民に対して支配権を持ち得るという危険性を露呈していることです。

2つ目は市民の代表である当局が、公然と自らの権限を軍に委任し、軍が必要と判断する全てを行動に移すことを容認したことです。そして大統領や議員といった市民の代表者たる権威者たちは、市民を守るために憲法に定められている彼らの権限を完全に手放し、大変危険な前例を作ってしまったのです。


公民権 フレッド・コレマツ 政府 政治

日付: 2000年3月23・24日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: マーガレット・チョン、アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ロレイン・バンナイ氏は、1955年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた日系三世の女性です。大きな日系アメリカ人コミュニティがある(同州の)ガーディナで育ち、コミュニティーや政治で様々な役割を果たしていた父の影響や、教育熱心な母の影響を受けて育ちました。カリフォルニア大学サンタバーバラ校に入学し、そこで日系人の歴史やエスニック・アイデンティティの問題、人種の不平等を強く意識するようになります。その後サンフランシスコ大学法学部で学び、政治や社会運動への志を強くもつようになりました。

法学部を卒業してわずか2、3年後、バンナイ氏は、コレマツ対アメリカ合衆国で1994年に米最高裁が下した判決の再審を求める弁護団に加わりました。第2次世界大戦中に退去命令に背いた罪で、コレマツ事件は連邦最高裁まで持ち込まれましたが、その連邦最高裁とは、軍事的必要性という米政府の論拠を基に、日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を支持していたところだったのです。そこで弁護団は、自己誤審令状を請願し(この事件は裁判官と検事側の弁護士が誤った事実を基にしたものだと立証し)、事件(の審議)を再開させ、退去命令の事実根拠は不正であるという証拠を提出しました。これにより、コレマツ氏のケース、およびこれに似たいくつかのケースの有罪判決を無効としたのです。このインタビューでバンナイ氏は、自己誤審令状の弁護団、日系アメリカ人コミュニティーの支援努力、このケースに関わったことで個人的に得た教訓などにについて語ります。(2000年3月24日)

ノーマン・ヨシオ・ミネタ

最後のハードル、レーガン大統領 (英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

エヴェリン・ヨシムラ

共通点 (英語)

コミュニティ・アクティビスト

エヴェリン・ヨシムラ

『Gidra』の背景を理解 (英語)

コミュニティ・アクティビスト

エヴェリン・ヨシムラ

『Gidra』の内容 (英語)

コミュニティ・アクティビスト

ローズ・オチ

立ち上がり、挑戦すること(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

ローズ・オチ

公聴会(英語)

日系アメリカ人弁護士・公民権運動アクティビスト(1938-2020年)

上杉 武夫

ニューヨークで学んだ後、日本に帰国(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

トム・ユキ

憲法に守られることを信じていた父(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)