ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/668/

日系アメリカ人というアイデンティティ意識の高まり (英語)

(英語) 私がアジア系アメリカ研究に関わりその分野の授業を受けられたこと、そしてそれらの授業を通して他の日系アメリカ人やアジア系アメリカ人の学生達とキャンパスの中で交流できたことの2つの経験が、私の日系人としての独自のアイデンティティ意識をより一層、そして確実に高めてくれました。授業の中で私たちはアイデンティティの問題について話し合い、それに関連する文学も読みました。そして私たちも自分のこととして個々を見つめ、「自分は一体何者なんだろう?私自身はこの中のどこに当てはまるんだろう?」という風に考えられるようになったんですね。この経験を通し、私自身も日系アメリカ人女性として自分のアイデンティティを強く意識するようになった訳です。ガーデナで育った私には、日系アメリカ人が大勢いる地域で育った、という意識はあっても、自分自身が日系アメリカ人女性だ、という自覚はそれまでありませんでした。社会という広い枠組みの中で、自分が日系人であるという意味を自覚していなかったということですね。


コミュニティ アイデンティティ

日付: 2000年3月23・24日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: マーガレット・チョン、アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ロレイン・バンナイ氏は、1955年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた日系三世の女性です。大きな日系アメリカ人コミュニティがある(同州の)ガーディナで育ち、コミュニティーや政治で様々な役割を果たしていた父の影響や、教育熱心な母の影響を受けて育ちました。カリフォルニア大学サンタバーバラ校に入学し、そこで日系人の歴史やエスニック・アイデンティティの問題、人種の不平等を強く意識するようになります。その後サンフランシスコ大学法学部で学び、政治や社会運動への志を強くもつようになりました。

法学部を卒業してわずか2、3年後、バンナイ氏は、コレマツ対アメリカ合衆国で1994年に米最高裁が下した判決の再審を求める弁護団に加わりました。第2次世界大戦中に退去命令に背いた罪で、コレマツ事件は連邦最高裁まで持ち込まれましたが、その連邦最高裁とは、軍事的必要性という米政府の論拠を基に、日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を支持していたところだったのです。そこで弁護団は、自己誤審令状を請願し(この事件は裁判官と検事側の弁護士が誤った事実を基にしたものだと立証し)、事件(の審議)を再開させ、退去命令の事実根拠は不正であるという証拠を提出しました。これにより、コレマツ氏のケース、およびこれに似たいくつかのケースの有罪判決を無効としたのです。このインタビューでバンナイ氏は、自己誤審令状の弁護団、日系アメリカ人コミュニティーの支援努力、このケースに関わったことで個人的に得た教訓などにについて語ります。(2000年3月24日)

ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ファン・アルベルト・松本

在日日系コミュニティの変化

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

日系コミュニティ最大のイベント、敬老会(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

社会正義のために立ち上がる

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。