https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/665/
弁護士(1955年生)
(英語) (学校の中で生徒を)ステレオタイプに当てはめてしまう傾向がありました。日系三世の子供たちは、行儀よく物静かで賢くて、勉強もよくできる、という風に見ていた先生や学校管理者もいました。でも、もしかしたらそうではなかったかもしれませんよね。だからと言ってその逆になるよう生徒たちを導くべきではありませんけれど。そういった管理者や先生、そして学校カウンセラーは、日系アメリカ人の生徒は、科学や数学の道を進み、芸術方面には行かない方がいい、と考えていたのかもしれません。それから他のみんなと同じように、サザンカリフォルニア大学やカリフォルニア大学ロサンゼルス校のような地元の大学に行って、決してスタンフォードやイェール、ハーバードを目指すのではなく、地元に残ることを希望した方が懸命だ、と思っていたのかもしれませんね。
今思えば、とても無難な環境ではあったと思います。努力して優秀な成績を目指し、何でもなりたいものになれると思わせてくれる環境だったのですからね。でもよく考えてみると、ある意味今で言う、ガラスの天井1と呼ばれる制限つきの環境でもあった訳ですよね。それは、日系人は成功を収めるべきではあるけれど、日系であることに変わりはないのだからそれ以上は目指さない方が賢明だということですね。
1. ガラスの天井: 組織などの中で昇進が制限された状態。この制限は性別や人種などの区別により生じることが一般的で、本人の努力や技能による制限とは区別される。
日付: 2000年3月23・24日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: マーガレット・チョン、アリス・イトウ
提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project
ロレイン・バンナイ氏は、1955年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた日系三世の女性です。大きな日系アメリカ人コミュニティがある(同州の)ガーディナで育ち、コミュニティーや政治で様々な役割を果たしていた父の影響や、教育熱心な母の影響を受けて育ちました。カリフォルニア大学サンタバーバラ校に入学し、そこで日系人の歴史やエスニック・アイデンティティの問題、人種の不平等を強く意識するようになります。その後サンフランシスコ大学法学部で学び、政治や社会運動への志を強くもつようになりました。
法学部を卒業してわずか2、3年後、バンナイ氏は、コレマツ対アメリカ合衆国で1994年に米最高裁が下した判決の再審を求める弁護団に加わりました。第2次世界大戦中に退去命令に背いた罪で、コレマツ事件は連邦最高裁まで持ち込まれましたが、その連邦最高裁とは、軍事的必要性という米政府の論拠を基に、日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を支持していたところだったのです。そこで弁護団は、自己誤審令状を請願し(この事件は裁判官と検事側の弁護士が誤った事実を基にしたものだと立証し)、事件(の審議)を再開させ、退去命令の事実根拠は不正であるという証拠を提出しました。これにより、コレマツ氏のケース、およびこれに似たいくつかのケースの有罪判決を無効としたのです。このインタビューでバンナイ氏は、自己誤審令状の弁護団、日系アメリカ人コミュニティーの支援努力、このケースに関わったことで個人的に得た教訓などにについて語ります。(2000年3月24日)
アメリカナイズされた価値観
岐阜県出身新一世。 最近アメリカ市民権を取得。
多文化の視野(英語)
三世の和太鼓奏者。マウイ太鼓のリーダー(1960年生)
若かりし頃の影響(英語)
漫画家(1953年生)
性格にあうアルゼンチン
沖縄出身。ブエノスアイレスの日本語学校教頭
子供の頃に触れた文化(英語)
日系人のペルー社会への融合 (スペイン語)
詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)
内向的なコミュニティ(スペイン語)
日系文化ってあるの?(スペイン語)
沖縄の特異性(スペイン語)
フェミニスト、エコロジスト、仏教徒・・・アクティビスト(スペイン語)
囚人の詩 (英語)
コミュニティ・アクティビスト
「ギドラ」という名前の由来(英語)
「ギドラ」のコラボレーション(英語)
両国の架け橋となることを目指して(英語)
第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)
「ギドラ」の貢献(英語)