https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/662/
徴兵忌避者(1925年生)
(英語) 僕は、日系人はもっとよく物事を考えるべきだったと思います。日系であることを恥じるのではなく、日系であることに誇りを持ち、自分の考えを述べ異議を唱えるべきだったんです。もし始めからそうしていれば、(強制収容は)避けられていたかもしれません。もしかしたらそれよりもっと悪い事態に陥っていたかもしれませんが、それは誰にも分かりません。でも日系人が最初にしたことといえば、政府は自分たちの面倒を見てくれると言うのだし、まずは言われたことに素直に従って、彼らが自分達をどうするつもりなのか見守ろう、というようなことだったんです。でも僕らは、政府はどの程度自分たちの面倒を見てくれるつもりなのか知らなかったんです。そしたら結局のところ、僕らは強制収容所で拘留の身となり、そうなって初めていろいろと考え始めた訳です。僕自身、こんなことは間違っているし、自分は正しい扱いを受けていないのだから抗議しなければ、と思ったように、他の多くの人たちもそう感じていると思ったんですね。それで前にも言ったことですが、僕は日系人の多くが僕のように感じていなかったことに驚いたんです。僕は自分がしてきたことが罪だとは思わないし、日系人だからといって罪悪感を感じることもありません。僕はここで生まれ育ったアメリカ市民だし、その市民権を僕から奪うことは誰にもできないのです。
日付: 1997年7月25日
場所: 米国、ワシントン州
インタビュアー: ラリー・ハシマ、スティーブン・フギタ
提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project
ジーン・アクツ氏は、1925年にワシントン州シアトルで生まれた、日系二世の男性です。戦前の幼少時代をシアトルの日本街で過ごしますが、(戦争が始まると)ワシントン州ピュウアラップの集合センターおよびアイダホ州ミニドカの収容所へ収容されました。徴兵を拒否したため、ワシントン州マクニール島の刑務所に徴兵拒否の罪で入れられ、(出所後は)シアトルに再び腰を落ち着けました。(1997年7月25日)
家族に恥をかかせないように (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
中東での過去と現在の関係 (英語)
兵士たちを手助け (英語)
日本人移民の衣服専門家・研究者
沖縄出身者への差別 (英語)
白人と同じ権利を求めて(英語)
公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)
立ち退き命令を知らないカリフォルニア人(英語)
病院に入った戦時捕虜としての父(英語)
収容所のポジティブな側面(英語)
一世と二世の一斉検挙(英語)
収容所の補償運動の達成と教育(英語)
(1919 - 2014年)日系アメリカ人の強制収容所に対する補償運動や公民権運動で活躍した活動家。
真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)
アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
アメリカへ帰国後の帰米の扱い(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
市民権を取り戻す(英語)
ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)
忠誠心の質問への返答(英語)