ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/625/

決してなることができない日本人(英語)

(英語) 外国人であれば、日本に居ても本当の意味で日本にはいないんです。全く非の打ち所のない日本語を話す人たちを知っていますが、彼らは早稲田の日本語学校に行った人たちなんです。友人の1人は早稲田で20年教授をやっていて日本語は完璧です。彼の書く日本語はトップのビジネスマンより上手です。それでも彼は外国人のように扱われているんです。

こういうことは自分で気が付いて、知っていくことなんですね。それに気が付かない人は苛立ってしまって、帰国してしまうのかもしれません。でも日本のそういうところを理解すれば、単一文化の国なんだということがわかります。他人との関わり方についても日本人の流儀があって、彼らのやり方というものがあるんですよ。それはほんの少し変わりつつあるのかもしれませんが、外国人は日本人には決してなれないんです。絶対なれないのだから、僕はなろうともしないんですよ。


Finding Home(映画) 外国人 外人 日本 非市民

日付: 2003年9月12日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

2世の母と3世の父を持つビンス・オオタは、ニューハンプシャー州に生まれました。オオタ一家はロサンゼルス、ニューヨーク、ミネアポリス、ロンドンと転々とした後、メリーランド州ゲイザースバーグに落ち着きました。メリーランド州の小さな町で育ったため、アジア系アメリカ人との交流は少なく、夏にロサンゼルスにいる親戚と過ごすくらいで、自分の環境をアメリカの『純粋な白人』のものであったと述べていました。その後、西海岸へ移り、コミュニティカレッジへ入学。その後はCalifornia Institute of the Arts(カリフォルニア芸術大学)へ進学しました。ロサンゼルスで7年間クリエイティブデザイナーとして働いた後、1996年に渡日しました。以来日本に住む彼は、インタビュー当時、クリエイティブデザイナーとして活躍しており、今後の日本在住意思を示していました。(2003年9月12日)

フランク・ソギ

日系アメリカ人として持つ日本に対する親近感(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

ピーター・ミズキ

日本食の有難さ (英語)

在日三世・剣道家

テリー・ジャンゼン

日本で育ったこと(英語)

(1930年生)アメリカと日本両国で育った日本人とアメリカ人とのハーフ

ハルノリ・オダ

渡米の決意(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ハワード・カキタ

アメリカで両親と再会する(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)

ハワード・カキタ

核兵器についての考え(英語)

広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)