インタビュー
1944年の大統領選挙後まで収容所を続けた政治的理由(英語)
(英語) 収容所が1944年11月以降まで続いたのは、大統領選挙という政治的な理由があったからに間違いありません。私は委員会のスタッフでもある若手弁護士のドナ・コムレと相談して、「選挙が終わるまで収容所は閉鎖しないように」とはっきり書いてある書類、つまりもし収容所を閉鎖すれば反日グループの怒りを買い西海岸での選挙に敗れる可能性があることを示唆している書類のいくつかをブルック氏に渡しました。渡しした書類は司法長官や大統領側近(陸軍参謀総長)ジョージ・C・マーシャルのような政府高官或いはマックロイなど複数の要人によって書かれたもので、収容所が(早期に)閉鎖されなかった理由は別のところにあり、完全に政治的なものだったことを裏づけています。
(政府は)ルーズベルト氏が再選されるまで、(収容所閉鎖の発表を)控えたかった。だから(大統領が4期目の再選を果たし、そして連邦最高裁がエンドウに有利な判決を下した1944年の)12月になってやっと収容所閉鎖の発表をしたんです。ブルック氏は、これが公文書ということで、これで(大統領選が終了する)時期まで収容所が続けられていたことが政治的な理由からだったと立証できる、と大変喜んでおられました。
日付: 1998年8月26日
場所: 米国、バージニア州
インタビュアー: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター