ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/600/

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

(英語) ああ、簪(かんざし)ね。この演目を踊ったとき、お箸を髪に挿して踊ったんです。するとある女性が深く感銘し、私にこの簪を下さったんです。全部で12本あります。【簪を髪に挿しながら】12本を(こうして)自分の髪に挿すんです。その女性は「美術館に寄贈しようと思っていたのですが、あなたに差し上げたいと思って」と言いましてね。(後で)本を見たら、頂いた簪は大変貴重なものだとわかりました。

踊りの中では、私は日本人だと言うことができます。【片面に日の丸が描かれた扇子を見せ】この様に踊ることができて【そして扇子をひっくり返し】でも同時に私はアメリカ人なの【ともう片面に描かれた星条旗を見せる】。このように、お扇子は自分達が何であるかを表現することができるのです。【扇子を両方に反しながら】私たちは日本人、でも同時にアメリカ人なの。それから日本舞踊では、【別の扇子を広げ動かしながら】お扇子は雨になったり、波になったり、あるいは・・・【扇子をつかって弓を引く動作をしながら】これは何でしょう・・・「バーン」(弓になったりします)。あるいは刀になり、これで戦うことができます。このようにお扇子は物語を語ります。日本舞踊においてとても大事なものなのです。


芸術 ダンス アイデンティティ

日付: 2004年11月30日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ナンシー・アラキ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

藤間勘須磨師匠(本名スマコ・ハマグチ)はカリフォルニア州サンフランシスコに生まれました。9歳のときロサンゼルスで歌舞伎を習い始め、その後ハワイの交換プログラムに参加しました。プログラム終了後、ロサンゼルスへは戻らず、斯界の歌舞伎役者6代目尾上菊五郎の元で学ぶために渡日。菊五郎の紹介で彼の師である藤間勘十郎のもとで藤間流を学びました。舞踊の基本だけでなく、三味線、鼓、演技、化粧なども学び、1938年藤間流の名取りを取得しました。

名取り取得後アメリカへ帰国し、父の経営するロサンゼルスのホテルでダンス教室を開きます。しかし、第2次大戦勃発ゆえに勘須磨師とその家族はアーカンソー州ローワーでの収容を余儀なくされました。少しして、政府より日本舞踊を教えることを許されたため、戦中はさまざまなキャンプで日本舞踊を教えました。戦後はロサンゼルスへ戻り、日本舞踊を教えるかたわら、自らの公演も再開しました。現在、彼女は2000人以上の弟子を持ち、その中の43人は名取りを取得しています。

1985年、日本政府より宝冠章、1987年にはNational Endowment for the Arts' National Heritage Fellows Award(米国版重要無形文化財)を受賞しています。また、2004年に全米日系人博物館よりCultural Ambassador Awardを受賞しています。

2023年2月、104歳で亡くなりました。(2023年6月)

ミシェル・ヤマシロ

共感する米国的な価値観(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

詩を通して自分を表現(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ファン・アルベルト・松本

エスコバールについて(スペイン語)

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。