ディスカバー・ニッケイ

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戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

(英語) (戦争が始まって)私たちはどうしていいかわからず、もちろん母もどうしていいかわかりませんでした。マリー・ギャラテリーという大変親切なアメリカ人女性がいて、私たちがサンタ・アニタ(集合所)に行かなくてはならなくなると「ホテルの面倒は私がみてあげるから」と言ってくれたんです。母は「自分達の持っているものを全て(マリーに)託すわ、そうすれば彼女が管理してくれるから」と言っていましたね。マリーさんは収容所に毎月お金を送ってきてくれました。(ホテルを)どうやって管理していたのかは分かりませんが、本当によく・・・私たちなんかよりもずっとビジネスが上手で、ホテルはいつも満室でした。


ホテル 投獄 監禁 第二次世界大戦

日付: 2004年11月30日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ナンシー・アラキ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

藤間勘須磨師匠(本名スマコ・ハマグチ)はカリフォルニア州サンフランシスコに生まれました。9歳のときロサンゼルスで歌舞伎を習い始め、その後ハワイの交換プログラムに参加しました。プログラム終了後、ロサンゼルスへは戻らず、斯界の歌舞伎役者6代目尾上菊五郎の元で学ぶために渡日。菊五郎の紹介で彼の師である藤間勘十郎のもとで藤間流を学びました。舞踊の基本だけでなく、三味線、鼓、演技、化粧なども学び、1938年藤間流の名取りを取得しました。

名取り取得後アメリカへ帰国し、父の経営するロサンゼルスのホテルでダンス教室を開きます。しかし、第2次大戦勃発ゆえに勘須磨師とその家族はアーカンソー州ローワーでの収容を余儀なくされました。少しして、政府より日本舞踊を教えることを許されたため、戦中はさまざまなキャンプで日本舞踊を教えました。戦後はロサンゼルスへ戻り、日本舞踊を教えるかたわら、自らの公演も再開しました。現在、彼女は2000人以上の弟子を持ち、その中の43人は名取りを取得しています。

1985年、日本政府より宝冠章、1987年にはNational Endowment for the Arts' National Heritage Fellows Award(米国版重要無形文化財)を受賞しています。また、2004年に全米日系人博物館よりCultural Ambassador Awardを受賞しています。

2023年2月、104歳で亡くなりました。(2023年6月)

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

児玉良一

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

笠戸丸移民

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

スー・エンブリー

若かりし頃の視点 (英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

日系人収容者の取り扱いに対する懸念を表す公文書(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

1941年12月7日の記憶(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)