https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/588/
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)
(英語) 1979年だったと思いますが、僕らはパウエル祭(バンクーバーで年に1度開催される日系カナダ人の祭り)に招かれたんですね。それがパウエル祭最初の開催だったかどうか、定かではありませんけど、もしかしたらそうだったかもしれません。とにかく僕らは祭りに呼ばれて行ったんですね。(太鼓奏者の)リック・シオミは当時バンクーバーに住んでいました。もちろん、今ではたくさんの太鼓奏者がバンクーバーにも居る訳ですが、当時は僕らが演奏に呼ばれたんですね。それは地域のお祭りのようなものだったのですが、地元のほとんどの人たちは、それまで太鼓演奏を見たことがありませんでした。だからそれは僕らにとっても、素晴らしい体験になった訳です。いろんな人たちに会うことができたし、彼らとしても、僕らサンノゼ太鼓がどんなことをしているのか知ることができてとても喜んでいましたね。
そしてその後、彼らは語り太鼓 (Katari Taiko) というグループを立ち上げることになったんです。彼らの意気込みは素晴らしかったですよ。週末の短い時間の中で出会い、僕らのグループの太鼓を楽しんでくれた人たちが、バンクーバーという異なった土地で、彼ら自身も音楽家として独自のグループを立ち上げたんです。この出来事はとても素晴らしい経験になりました。
日付: 2005年1月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ロイ・ヒラバヤシ氏はサンノゼ太鼓の支配人であり、グループの創設者の一人です。1951年、カリフォルニア州バークレイで帰米の両親のもとに生まれました。彼は5人兄弟の真ん中で、カリフォルニア州オークランドで育ちました。1969年に高校を卒業した彼は、サンノゼ州立大学へ進学し、心理学と哲学を専攻しました。
彼ははサンノゼ州立大学のアジア系アメリカ人研究プログラム、全米日系人市民協会(JACL)、パシフィック・アジアン・コーリション、アメリカ仏教会などでも働いていました。彼が太鼓を始めたきっかけは仏教青年会(YBA)の活動でした。サンノゼ仏教会の開教使ヒロシ・アビコが緊那羅(きんなら)太鼓の演奏を聴いたあと、若い世代のために何か始めるべきではないかと話を持ちかけられ、太鼓グループを立ち上げたのです。以来、サンノゼ太鼓はアメリカでもっとも影響力のある太鼓グループのひとつに成長しました。(2005年1月26日)
非太鼓グループとの共演(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
桜祭りでの太鼓演奏の欠如(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
緊那羅太鼓との出会い(英語)
太鼓とはっぴ(英語)
伝統的太鼓スタイル(英語)
開拓精神へ捧げる(英語)
和太鼓へのアメリカの影響(英語)
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
アーティストとしての役割(英語)
ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)
環境を反映する太鼓音楽(英語)
伝統的音楽「雅楽」を演奏することによって形成されたアイデンティティ(英語)
自己表現としての太鼓(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)
ミュージシャンか僧侶かの選択 (英語)
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)
日本の太鼓とは違う日系太鼓 (英語)
両親に反対された太鼓奏者としての道 (英語)