ディスカバー・ニッケイ

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収容所での最初の印象 (英語)

(英語) 収容所での体験もその人の年齢によって違ってくると思います。あの時自分に何が起きていたのかということへの理解や、(収容所に入れられたことで)何を失ったかという感じ方は、その人の年齢によって大分違ってきますからね。例えば私のように7歳位の子供だと、今までと余り変わりなく友達と遊んで学校に行くわけで、違いといえば学校のクラスメートが自分と同じ様な顔をした子ばかりになったというぐらいなんです。

それから私個人で一番苦痛に感じていたのは、大食堂で食事をすることでしたね。私の家には大きな丸いダイニングテーブルがあり、家族で一緒に食事をすることが生活の中心でした。いわばダイニングは一家団欒の場だったんですよ。ですから、収容所の食堂で家族以外の人と食事をしていると、なんだか軍隊で食事をしているような気持ちになってしまうんです。ですから私にとっては食事が一番大きな変化でしたね。

感謝祭やクリスマスのお祝いが本当に恋しかったですよ、収容所では何もできませんでしたから、それがすごく寂しかったですね。(このように私も子供ながらにも)生活の何かが変わっていることは分かっていしました。でもそれがどうしてかは分かりませんでした。戻ってきた父は人が変わってしまい、それによって私の生活も180度変わってしまったんです。


カリフォルニア州 強制収容所 家族 投獄 監禁 マンザナー強制収容所 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2005年12月27日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジーン・ワカツキ・ヒューストンは『マンザナールよ、さらば-強制収容された日系少女の心の記録(Farewell to Manzanar)』(1975年、現代史出版社)の共著者としてよく知られています。1934年、カリフォルニア州イングルウッドに10人兄弟の末っ子として生まれました。幼少時代は南カリフォルニアで過ごしていましたが、1942年、7歳にして家族とともにカリフォルニア州マンザナーにある強制収容所へ収監されました。

ワカツキ一家は1945年に南カリフォルニアへ戻り、1952年にはサンノゼへ転居しました。その後、彼女はサンノゼ州立大学へ進学し、社会学とジャーナリズムを専攻しました。卒業後、数年間カリフォルニア州で働いた後、パリへ留学し書法を学びました。また、1957年にはサンノゼ州立大学で知り合ったジェームス・D・ヒューストンと結婚。以後、3人の子供をもうけます。

1971年、マンザナーで生まれた甥に収容所の体験について尋ねられました。彼は両親に同じことを尋ねたのですが、話してくれなかったそうです。ヒューストン氏は甥にかいつまんで伝えるため、自らの体験談を書き記すことにしました。夫とともにFarewell to Manzanarを書きあげました。1972年に出版されたこの本は、彼女だけでなく彼女の家族の戦前、戦中、戦後の体験を書き記してあります。現在では、多くのアメリカの学校で日系アメリカ人の収容所体験を教えるための教材のひとつとして使われています。また、この本は1976年にテレビ映画化されており、ヒューマニタス賞を受賞。エミー賞のドラマ部門脚本賞にもノミネートされました。

Farewell to Manzanar以来、ジーンは夫とともに作家活動を続けています。2003年には、初の小説The Legend of Fire Horse Womenを発表しました。さらに、大学やコミュニティ機関で数々の講演を行っています。2006年には彼女の社会への貢献が認められ、全米日系人博物館より賞が送られました。(2006年11月25日)

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